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本能寺の変1582 【重史139】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【重史139】 「言継卿記」 

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→【シリーズ】
 信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 本能寺への道  
その一因 目次大 概説大 目次中 →
 1時代の風潮 2光秀という男 3光秀と光慶 
 4光秀の苦悩 5志向の相違  +信長の油断 →
 3 (1)光秀の素性 (2)光秀の年齢 (3)光秀の嫡男 
見えてきたもの 目次大 目次中 +240607 
【人物】 
*◎=重要ヶ所 P=重要Point 史=史料 ✓=チェック済
 そ=その一因 テ=テーマ別 
*加筆修正 

【重史139】 そ第11話㉖

①細川右馬頭庭の藤戸石、

②織弾(信長)、三・四千人にてこれを引き、

③笛鼓にて、これを囃し、

                      「言継卿記」


 永禄十二年1569、三月三日。
             156900303

  山科言継が、この光景を見ていた。
  「驚いた」、と言っている

   三月三日、丁未(ひのとひつじ)、天晴、
   細川右馬頭庭の藤戸石、
   織弾(信長)、三・四千人にてこれを引き、
   笛鼓にて、これを囃し、勘解由小路室町まで、
   日暮れの間、御堀の内へは入れずと云々、
   見物しおわんぬ、
   驚目者なり、
                           (「言継卿記」)

 【参照】【重史137】 そ第11話㉖        永禄12 156900227
  ①二月廿七日、辰の一点、御鍬初めこれあり。
  ②細川殿御屋敷に藤戸石とて往古よりの大石候。
  ③笛、大鼓、つゞみを以て囃し立て、
  ④信長、御下知なされ、即時に、庭上へ御引付け候。
                            『信長公記』


 【引用】 そ第11話㉖



 ⇒ 次へつづく

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