本能寺の変1582 【重史55】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
【重史055】 『鉄炮記』
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*加筆修正
【重史055】 そ第157話②
①我が西村の小浦に一大船有り、
②何れの国より来たれるかを知らず、
③長さ、二、三尺、
④その体為るや、中は通り、外は直くして
⑤其の傍(かたわ)らに、一穴あり、
⑥妙薬(火薬)を其の中に入れ、
⑦其の一穴より火を放てば、
『鉄炮記』
天文十二年1543、鉄炮伝来。
同年、八月。
信長が十歳の時。
薩摩島津家に仕えた禅僧南浦文之(なんぽぶんし)の著作、『鉄炮記』に
よれば、
天文十二年八月、乗員百余人の大船(ジャンク)が種子島に漂着し、
天文、癸卯(みずのとう)、秋、八月二十五日、丁酉(きのととり)、
我が西村の小浦(小さな入江)に一大船有り、
何れの国より来たれるかを知らず、
船客百余人、
その形、類せず(風貌が似ていない)、
その語、通ぜず、
見る者、以って、奇怪と為す、
(中略)
それに乗っていたポルトガル人が、「鉄炮」伝えたという。
手に、一物を携ふ。
長さ、二、三尺、
中は通り、外は直(なお)くして
重きを以って、質と為す、
其の中は、常に通ずと雖(いえど)も、
其の底は、密(きび)しく塞(ふさ)がんことを要す、
其の傍(かたわ)らに、一穴あり、
火を通ずるの路(みち)なり、
形象、物の比倫(=比類)すべきなきなり、
其の用為(た)るや、妙薬(火薬)を其の中に入れ、
添ふるに小団鉛(弾丸)を以ってす、
先ず、一小白(小さい的)を岩畔に置き、
親(みずか)ら、一物を手にし、
其の身を修め、其の目を眇(すが)めにして、
其の一穴より火を放てば、
則ち、立ちどころに、中(あた)らざる莫(な)し、
(以下略)
(『鉄炮記』)
斯くして、日本と西欧が繋がった。
歴史的瞬間である。
それまで、誰も見たことのなかった新兵器。
これを境に、戦いの有様が劇的に変化する。
天正三年1575、長篠の合戦。
その、32年前の出来事。
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