本能寺の変1852 その一因 2(1)光秀の素性6 そ第26話② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 2(1)光秀の素性6 そ第26話②
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2(1)光秀の素性 6転機 そ第26話②
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1素性 そ第53話 そ第54話① そ第54話② そ第54話③
2争乱 そ第155話① そ第155話②
3下剋上 そ第156話① そ第156話② そ第157話① そ第157話②
そ第158話① そ第158話② そ第158話③ そ第158話④
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4没落 そ第200話① そ第200話② そ第200話③
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そ第152話⑨ そ第152話⑩
6転機 そ第19話
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そ第26話① そ第26話② そ第27話①
永禄九年7 若狭へ
義昭は、矢島から若狭へ向かった。 →第26話
同(八月)二十九日夜。
義昭は、矢島を発った。
船で、琵琶湖を渡ったらしい。
従う家臣は、わずか四、五人。
この中に、細川藤孝の姿もあった。
一路、若狭へ。
武田義統を頼った。
山科言継の証言である。
閏八月一日。
「雑説」、「俄か」。
都に、噂が流れた。
閏八月小
一日、己丑、雨降る、十方暮、
江州矢島の武家、左馬頭義秋、
一昨夜、四・五人にて、若州へ御座を移さるゝと云々、
雑説これ有り、
俄(にわ)かの儀と云々、
【重史092】(「言継卿記」永禄九年閏八月一日条)
山科言継は、信長のことをよく知っていた。 →【 人物 】
言継は、京の公家。
「言継卿記」を著した。
永正四年1507の生まれ。
天正七年1579、没。
この時(永禄九年)、すでに60歳。
当時としては、老人であった。
織田家とは、父信秀の代から親交があった。
初期の信長に関する記録が多く、処々に、光秀も登場する。
この頃を知る上で、重要な史料である。
以後も、多々、取り上げる。
参考にされたい。
若狭は、内乱状態にあった。
同三日。
若狭は、武田義統が守護の国。 →【 人物 】
だが、義統は、すでに実権を失っていた。
父子反目、国人割拠。
義昭を庇護する余裕などなかった。
以下は、奈良、多聞院英俊の記録。
正に、「地獄耳」。
貴重な史料である。
閏八月
三日、大雨、昼夜降り止まざりおわんぬ、月待ち、曇りて拝し奉らず、
一、去る二十九日夜、
上意様は、矢島を御退座、若州に御動座しおわんぬ。
三人衆、六角方と申し合わせ謀叛の故と云々、
浅猿(あさまし)〃〃、
若狭も、武田殿父子、取り合いに及び、乱逆と云々、
いかが成り行くべき哉、
【重史093】(「多聞院日記」)
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