本能寺の変1582 テーマ別 光秀の年齢 第69話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
テーマ別 光秀の年齢 第69話
はじめに ←目次 ←
→重要 ◎目次 重要 ◎目次小
→重要Point ◎目次 重要Point 通し◎目次
→テーマ別 目次 テーマ別 通し ◎目次
→その一因
→見えてきたもの 目次
*◎=重要ヶ所 P=重要Point ✓=チェック済
*加筆修正
テーマ別 光秀の年齢
【関連記事】◎第5話 ◎第6話 ◎第7話 ◎第13話
◎第68話 ◎第69話 ◎第70話 ◎第71話 ◎第72話
◎第73話 ◎第74話 ◎第75話 ◎第76話 ◎第77話
◎第78話
テーマ別 光秀の年齢 第69話
光秀は、現役の戦国武将。
光秀は、第一線に立つ指揮官である。
大軍勢を率いた。
長期の遠征、激戦の日々。
包囲・攻撃・追撃・掃討等々。
野陣・長陣、風雨・降雪の日もあっただろう。
食糧事情・衛生問題等々。
正に、体力勝負。
戦い以外で、死ぬ者たちも、多くいたものと思う。
過酷な任務だった。
天正四年1576、石山本願寺との戦い。
光秀自身、陣中で、大病を発症した。
暫し、死の淵を彷徨。
辛うじて、蘇生した。
その様なことも、あった。
光秀の甲斐遠征。
天正十年1582、三月~四月。
ルートは、次の通りである。
近江→美濃→信濃→甲斐→駿河→遠江→三河→尾張→美濃→近江
安土を起点として、総延長は、平面で、ザックリと計算して、
約700㎞。
相当、長い距離である。
しかし、実際は、そのほとんどが、険難な山中の道。
山あり、谷あり、峠あり、曲がりくねった道。
アップダウンの激しい道だったであろう。
越すに越されぬ大河もあった。
天候の問題等々。
厳しい行軍だったものと思う。
これを立体的かつ詳細に計算すれば、1000㎞近くになるのでは
なかろうか。
光秀は、高齢であるがまだ老人ではない。
遠征は、過酷な軍旅。
肉体的負担が大きい。
光秀にとっても、それは同じ。
甲斐遠征のように、長期間となれば、なおさらである。
光秀には、それが出来た。
ということは、高齢であるがまだ老人ではない。
しかし、着実に、老人に近づいていた。
おそらく、これまでにない、疲労を感じていたのではないか。
中国攻めは、既定の作戦だった。
信長は、毛利の出方を探っていた。
そして、
「出陣は、来たる秋」
信長は、そう、下命していた。
それ故、
光秀は、それに合わせ、そのつもりで行動していた。
だが、しかし、・・・・・。
中国攻めは、光秀が、これまでに経験したことのない、
大規模な長期大遠征となる。
「天下布武」の総仕上げ。
織田家の総力を結集した戦いであった。
老人には、相応しからぬ役目。
出来ぬことである。
光秀には、それを遂行し得る、気力・体力・行動力があった。
その様な年の頃だった。
結果として、このパワーこそが、光秀を、「本能寺」へと向かわせる
ことになる。
ならば、「老人」とは、・・・・・。
⇒ 次へつづく
NEW!!
目次 が更新されました。
これで、全体像がよくわかる!!
毎日更新!!
原因・動機の究明は、この一歩から!!
重要 ◎目次 が更新されました。
「本能寺の変」
原因・動機は、この中にあり!!
ご注目下さい!!
テーマ別 目次 が更新されました。
視点を変えれば、見える景色も違ってくる!!
見えてきたもの 目次 が更新されました。
これで、さらに、一歩、近づいた!!
ご期待ください!
