本能寺の変1582 重要 ◎第15話 240220 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第15話 240220
4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 7/7
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*加筆修正 240117 240220
信長の人物像 信長は、執念深い。
最後まで、信盛を赦さなかった。
信長は、苛烈だった。しかも、徹底していた。
信盛は、逐電した。落ちぶれ果てた哀れな姿であった。
紀伊州熊野の奥、足に任せて逐電なり。
信盛は、失意のうちに亡くなった。大和十津川にて、没す。
享年、五十五という。佐久間、十津川の湯にて死ぬにつき、
これが、織田家重臣筆頭者の末路である。
信長は、命に逆らう者を容赦しない。
信長は、絶対専制君主。誰よりも、誇り高い男なのである。
本願寺を、屈服させた男。恐ろしい男なのである。
高野滅亡、時刻到来か。
「摂津伊丹の牢人ども」 高野山は、抗戦の姿勢を見せた。
高野聖を成敗。その数、何と、数百人。
信長の性格 執念深い 苛烈 厳しく、激しい 徹底 誇り高い
光秀の人物像 光秀は、歴とした戦国武将。不撓不屈の男。
強靭な精神力、強固な意志、実行力を合わせ持つ男。
幾度も、艱難辛苦を乗り越えて来た。
光秀の苦悩 逐電、嬲り殺し。佐久間信盛の死。重臣筆頭者の末路。
その時、光秀は、奈良にいた。そこで、信盛の死を知った。
光秀は、佐久間信盛の死に様を知っている。
これが、信長の仕打ち。確と、「肝に銘ずべし」。
光秀の心中、穏やかならず。
光秀の苦悩は、次第に大きくなっていく。
「油断」、すなわち、「死」。
「幸」と「不幸」は、紙一重。
一瞬にして、人生が変わってしまう。
「陥穽」は、至るところに隠れていた。
「災い」は、音を立てずにやって来る。
光秀の心の内には、秘する思いがあった。
・・・・・。それが、己の生きる道。
◎信長は、執念深い。
◎最後まで、信盛を赦さなかった。
太田牛一は、二度繰り返している。
「御折檻の条、御自筆にて」
「此の如く、御自筆を以て遊ばし」
信長は、激昂した。
これまで、腹中に堪め込んでいたものが一気に噴き出した。
此の如く、御自筆を以て遊ばし、
佐久間右衛門父子かたへ、楠木長安・宮内卿法印・中野又兵衛、
三人を以て、遠国へ退出すべき趣、仰せ出ださる。
取る物も取り敢へず、高野山へ上(のぼ)られ侯。
◎信長は、苛烈だった。
厳しく、激しいのである。
しかも、徹底していた。
爰(ここ)にも叶ふべからざる旨(むね)、御諚に付いて、
高野を立ち出で、
◎信盛は、逐電した。
最早、見る影もなし。
「嬲り殺し」
落ちぶれ果てた哀れな姿であった。
紀伊州熊野の奥、足に任せて逐電なり。
然る間、譜代の下人に見捨てられ、
かちはだし(徒歩裸足)にて、己と草履(ぞうり)を取るばかりにて、
見る目も哀れなる有様なり。
(『信長公記』)
◎信盛は、失意のうちに亡くなった。
それから、ちょうど一年後。
天正九年1581、八月。
大和十津川にて、没す(奈良県吉野郡十津川村)。
享年、五十五という。
◎これが、織田家重臣筆頭者の末路である。
山中の温泉場にて。
人知れず。
息を引きとった。
その心中や、如何に。
十九日、
一、佐久間、十津川の湯にて死ぬにつき、
高野の宿坊の庫(くら)の物、請け取るべきの由、
信長より仰せつけられ、
上使、指し上らるゝのところ、
悉(ことごと)く 以って討ち殺しおわんぬと云々、
これにより、諸国の高野聖(ひじり)とらえらる、
近日、手遣(てづか)ひのあるべきの由、沙汰に及ぶと云々、
則ち、来たる廿三日、陣ふれ(触)これ在ると云々、
高野滅亡、時刻到来か、
(「多聞院日記」八月十九日条)
◎多聞院英俊もまた、歴史の証人であった。
奈良、興福寺多聞院の院主。
「多聞院日記」の著者。
当日記は、先々代・先代から、引き継がれたものという。
大和に関する記述が多い。
特に、英俊の代は、三好・松永・筒井・信長・光秀の時代と合致する。
それらを知る上で、貴重、かつ、重要な史料である。
◎その時、光秀は、奈良にいた。
同じ日。
偶然にも、光秀は、郡山城を検分するため当地を訪れていた。
◎そこで、信盛の死を知った。
誰もの、関心事。
当然、その話となる。
光秀の耳にも、入ったであろう。
一、惟任日向守、郡山城普請見舞いとして、
今朝、朝早く成身院まで越しおわんぬ、
十新(十市氏=筒井氏の親族衆)、是れに来おわんぬ、
成(成身院)にて、一献これ在り、
頓(やが)て、郡山へ同道しおわんぬ、
人数、百計(ばか)り歟(か)と云々、
(「多聞院日記」八月十九日条)
◎光秀は、佐久間信盛の死に様を知っている。
◎これが、信長の仕打ち。
◎確と、「肝に銘ずべし」。
◎光秀の心中、穏やかならず。
◎光秀の苦悩は、次第に大きくなっていく。
「油断」、すなわち、「死」。
「幸」と「不幸」は、紙一重。
一瞬にして、人生が変わってしまう。
「陥穽」は、至るところに隠れていた。
「災い」は、音を立てずにやって来る。
◎光秀は、歴とした戦国武将。
気の抜けぬ時代だった。
光秀は、このような時代を生きていたのである。
◎光秀は、不撓不屈の男。
強靭な精神力、強固な意志、そして、実行力を合わせ持つ男。
幾度も、艱難辛苦を乗り越えて来た。
◎光秀の心の内には、秘する思いがあった。
・・・・・・・・・・。
それが、己の生きる道。
◎信長は、命に逆らう者を容赦しない。
繰り返す。
信長は、絶対専制君主。
誰よりも、誇り高い男なのである。
本願寺を、屈服させた男。
恐ろしい男なのである。
◎高野滅亡、時刻到来か。
そのことが、また、証明された。
高野聖を成敗。
その数、何と、数百人。
八月十七日、高野聖(ひじり=僧)尋ね捜し、搦(から)め捕へて、
数百人、万(よろず)方より召し寄せられ、悉く誅せられ侯。
◎「摂津伊丹の牢人ども」
荒木村重、謀叛。
その残党たちが高野山に逃げ込んだ。
信長は、彼らを差し出すよう命じた。
子細は、摂津伊丹の牢人ども、高野に拘(かか)へおき侯。
其の内にて、一両人召し出ださるべき者侯て、
御朱印を以て、仰せ遣はされ侯ところ、
◎高野山は、抗戦の姿勢を見せた。
これを拒否したのである。
其の儀、御返事をば申し上げず、
剰(あまつさ)へ、御使に遣はせられ侯者十人ばかり、討ち殺し侯。
その結果、斯くの如し。
毎度、御勘気を蒙る者抱へ置き、緩怠につきて、
かくの如く侯なり。
(『信長公記』)
これについては、後述する。
⇒ 次へつづく
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