本能寺の変1852 その一因 一、信長の誇り 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 一、信長の誇り
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信長は、誇り高い男。
口答えする者を赦さない。
信長は、信盛を切り捨てた。
抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、
口答申す輩(ともがら)、前代に始り侯条、
(『信長公記』)
信盛は、不意を衝かれた。
「一寸先は闇」
そして、追放。
信盛は 、織田家から抹消された。
信盛は、甘かった。
「粛清」
斯くして、全てが終わった。
信長は、絶対専制君主。
逆らう者など誰もいない。
信長は、誇り高く、執念深い。
口答えなど、以ての外なのである。
だが、しかし、・・・・・。
意見具申≒「口答え」。
紙一重。
光秀は、甘かった。
否、違う。
精神的に、余裕がなかった。
不覚だった。
光秀は、判断を誤った。
ただ一度の過ち。
「足蹴事件」*
このことが、「本能寺の変」の一因となる。
*「足蹴事件」については、後述する。
【参照】まとめ 時代の風潮 第14話 ◎第14話
⇒ 次へつづく
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原因・動機の究明は、この一歩から!!
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「本能寺の変」
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