本能寺の変1852 その一因 一、土佐の長宗我部 小147①~② 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
その一因 一、土佐の長宗我部 小147①~②
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その一因 一、土佐の長宗我部
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 小50①~⑥
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 小79~80
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 小82①~②
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 小132①~③
【参照】その一因 一、土佐の長宗我部 小146①~③
その一因 一、土佐の長宗我部 第147話① 小147①
元親は、土佐を平定した。
元親は、さらに、四国統一を目指した。
同じ頃、信長は、本願寺攻めに苦戦していた。
本願寺の攻勢がピークに達していた。
阿波の三好氏は、共通の敵。
信長にとっても、好都合。
元親は、斎藤利三を通じで光秀に近づいた。
元親は、信長と誼を通じた。
その橋渡しをしたのが、光秀である。
以後、光秀が元親の取次となる。
暫し、良好な関係が続く。
元親は、四国制覇へ向かって突き進んだ。
本願寺は、次第に力を失っていく。
元親は、信長の本願寺攻めが長引くものと考えていた。
光秀、丹波を平定。
光秀、絶好調の時期。
全て順調、うまく行くかに思えた・・・・・。
その一因 一、土佐の長宗我部 第147話② 小147②
しかし、ここで、状況が変わった。
本願寺が降伏した。
信長は、四国へ目を向けた。
信長は、元親に、停戦を命じた。
信長は、初めから、そのつもりだった。
光秀も、これに同じ。
問題は、元親のこと。
光秀は、元親が承諾すると思っていた。
元親は、こうなることを覚悟していた。
元親は、これに反発した。
元親は、出来るだけ時間を引き延ばそうとした。
光秀の説得交渉が始まった。
土佐は、僻遠の地。
交渉は、暗礁に乗り上げた。
そして、天正十年1582へ。
一月、光秀は、石谷頼辰を土佐へ派した。
二月、信忠、甲斐へ出陣。
三月、信長、同。
〃 光秀、同。
〃 武田滅亡。
四月、信長、安土に帰陣。
〃 光秀、同。
五月、事態急変。
〃 七日 四国出陣命令。
〃 十七日 中国出陣命令。
五月二十九日、
石谷頼辰、未だ帰らず。
光秀は、極限状態に追い込まれていた。
「万事休す」
そこに、信長が、上洛した。 『信長公記』
六月一日、中国出陣の日。
⇒ 次へつづく
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「本能寺の変」
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