どんなファシリテーターが、どんなレゴ®シリアスプレイ®の場をつくるのか
〜ファシリテーターの成人発達段階が「場」に与える影響についての考察
はじめに 〜なぜファシリテーターによって、場の深さが違うのか
同じレゴ®シリアスプレイ®(以下、LSP)を使っている。
同じ手順で、同じブロックを使い、同じ時間を共有している。
それでも、「明らかに場の深さが違う」
と感じるワークショップがあるのはなぜでしょうか。
ここまで、LSPに6年間向き合ってきた中で得てきた洞察について、2つの記事にまとめて来ました。
・一つ目は、新規事業開発という不確実性の只中で、LSPが持つ独特の有効性について。
・二つ目では、成人発達理論の視点から、なぜLSPでは「話が噛み合ってしまう」のかを考察してきました。
三つ目のとなる本稿では、もう一歩踏み込み、LSPファシリテーター自身の成人発達段階が、場にどのような影響を与えているのか、について考えてみたいと思います。
■コーチングにおける「発達段階の非対称性」
このテーマを考える際、思い出したのが、成人発達理論における発達段階の測定方法を解説したオットー・ラスキーの『人の器を測るとはどういうことか』に書かれていた示唆です。
そこでは、コーチは、原則としてクライアントよりも高い認知的な発達段階を持っている必要があることが指摘されていました。
クライアントがまだ捉えきれていない前提や意味づけを、コーチが「見えている」からこそ、問いを通じた支援が可能になる、という考え方です。
これは、1対1の関係性を前提としたコーチングにおいて、非常に妥当で、説得力のある指摘だと感じます。
■LSPは、この前提を裏切る
しかし、LSPの実践を重ねる中で、私はある違和感を覚えるようになりました。
LSPでは、ファシリテーターが必ずしも参加者より「高い発達段階」にいなくても、価値ある場が立ち上がってしまうという事実です。
これはなぜ可能なのでしょうか。
私自身は、LSPには以下のような「安全装置」が組み込まれているからだと考えています。
対話の媒介が「言葉」ではなく「生成物(ブロック作品)」であること
同じ材料・同じ時間・同じルールで、全員が制作から参加すること
ファシリテーターが「解釈」ではなく「プロセス」を担う構造であること
これらによって、ファシリテーターと参加者の認知構造の差が、ブロックやプロセスそのものに吸収される。
その結果、どんな認知構造のファシリテーターであっても、
一定以上の質を持った場をつくることが可能になります。
この意味でLSPは、非常に民主的で、価値の高い技法だと思います。
■それでも生まれる「微細で、時に圧倒的な差」
しかし同時に、実践と観察を続けてきた中で、もう一つの事実も、私は否定できないでおります。
それは、ファシリテーターの認知的発達段階が、扱うテーマや場の状況によっては、微細に、時に圧倒的な差を生み出すということです。
特に影響を受けやすいのは、次のようなテーマです。
不確実性が高いテーマ
発散や相互理解にとどまらず、合意形成や推進力が求められる場
ゴールが明確でなく、価値観や前提そのものが問われる場
新規事業開発やDX、組織変革などは、まさにこれに該当します。
このような場では、
どこまで問いを深められるか
どこで待ち、どこで介入し、どこで委ねるか
自分はどの様な存在で何を信じているのか
といった視座や判断が、
ファシリテーター自身の「世界の見え方」に強く依存します。
■どんなテーマなら、影響を受けにくいのか
逆に言えば、ファシリテーターの認知構造の影響を受けにくいテーマもあります。
たとえば、以下のような場合があり得るでしょう。
短時間
決まったプログラム
ゴールイメージが明確
こうした場では、LSPのプロセス自体が強く機能するため、ファシリテーターの個人差は比較的小さくなります。
これは決して、優劣の話ではありません。
「どのテーマに、どんなファシリテーターが向いているか」
「ファシリテーターとしてどの様なテーマを好むのか」
というタイプの話です。
■なぜ私は、不確実性の高いテーマを選び続けてきたのか
ここで、
私自身についても、少し触れておきたいと思います。
私はこれまで、人事や教育そのものでもなく、
抽象化された組織開発でもなく、
(これらを愛し、尊重し、関わりながらも)
新規事業開発やDXといった「実務的な変革」の現場を、
一貫してステージに選んできました。
当初は、
「その方が好きだから」
「なんとなくこちらの方がしっくり来る」
程度の感覚でした。
しかし今振り返ると、これはかなり意図的な選択だったのだと思えています。
■メソッド起点ではなく、テーマ起点だった
多くのファシリテーターは、
メソッドを学び
その後、適用テーマを探します
これは自然で、健全なプロセスです。
一方で、私の場合は逆でした。
そもそもイノベーション・ファシリテーターであり
そこで活用する道具の一つとしてLSPを習得し実践してきた
敢えて言い換えるなら、
LSPをやりたかったのではなく、
不確実性の只中にあっても建設的な営みを続けたかった。
この「メソッド起点」と「テーマ起点」の違いは、経験学習の速度と質に、
大きな影響を与えたように思います。
■成人発達理論で捉え直すと
この違いを成人発達理論で見ると、
メソッドを正しく使おうとする姿勢
→ 第三段階的(環境順応型知性:役割・期待・正解への適応)問いを軸に、メソッドを選び続ける姿勢
→ 第四段階的(自己主導型知性:自己著述的意味づけ)
と捉えることができます。
もちろん、第三段階的な姿勢がなければ、場の安全性は成立しませんから必須のスタンスではあります。
しかしその上で、新規事業やDXの現場では、第四段階以降の認知構造を、否応なく要求されるように感じています。
そして、その様な環境に身を置き続けたことが、私自身の成長にもつながってきた、という実感があります。
■ZPDと正統的周辺参加としての「ファシリテーターの成長」
LSPの場では、
高い認知構造を持つファシリテーター
異なる認知構造を持つ参加者
これから育っていくファシリテーター
が、同じ場に共存します。
これは、場全体が発達の最近接領域(ZPD)に入る構造でもあります。
さらに、サブファシリテーターや参加者として関わること自体が、正統的周辺参加として機能します。
LSPは、
参加者を育て
ファシリテーターを育て
ファシリテーター同士も育て合う
非常に珍しい実践共同体だと感じています。
※この辺りの話題は前回の記事も是非ご参照ください
■第五段階に近づいても、学びは終わらない
仮に、成人発達理論における第五段階(自己変容型知性)にリーチしているファシリテーターであっても、学びは終わりません。
異なる認知構造を持つ人との出会いは、新たな内省を生み、成熟を促すからです。
成人発達理論の文脈では、第四段階以降の成長は、自分とは異なる考えや価値観に触れる中で、自己を相対化し続けるプロセスとして説明されることが多くあります。
この理解に立つならば、「異なる認知構造を持つ人との触れ合い」は、成長にとって極めて重要な条件の一つだと言えるのです。
だからこそ、LSPの本質は、ファシリテーターにとっても参加者にとっても、どんな認知構造を持った人にとっても「共創」の場になるということ、なのだと思います。
おわりに 〜誰の発達も、場から切り離さないために
まとめると、私はこう考えています。
LSPは、どんな認知構造のファシリテーターでも、価値ある場をつくれる技法である
しかし、扱うテーマが不確実であればあるほど、ファシリテーターの認知構造は、静かに場に影響する
それは優劣ではなく、向き不向きの問題である
だからこそ、
もしLSPを依頼することがありましたら、
「何回やったか」
「どんな企業でやったか」
だけでなく、
「どんなテーマに向き合ってきた人なのか」
という視点で、
ファシリテーターを選んでいただけたらと思います。
そして私自身は、これからも新規事業開発やDXという、不確実性の高い現場に立ち続けたいと思っています。
それが、自分自身の発達につながり、それが誰かの挑戦を支える場につながると、信じているからです。
もしあなたが、同じように不確実性に直面しつつも、人と場の可能性を信じているのだとしたら、きっとどこかでお会いすることになるともいます。そのことを今から楽しみにしています!
最後までお読みいただきありがとうございました☆
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