なぜこの場では、話が噛み合ってしまうのか〜成人発達理論から読み解くレゴ®シリアスプレイ®の力
はじめに 〜対話の難しさと可能性
対話が難しい、と感じたことはないでしょうか。
論点は合っているのに、どこか噛み合わない。
不確実性の高い現場では、その違和感が何度も立ち上がります。
新規事業開発、組織開発、人材開発。
これら不確実性の高い領域に関われば関わるほど、私は「対話の難しさ」に直面する機会が増えてきました。
同じ日本語を話しているはずなのに、話が噛み合わない。
論点は合っているのに、なぜか前に進まない。
善意で話しているはずなのに、どこかで分断が生まれる。
ところが、レゴ®シリアスプレイ®(以下、LSP)のワークショップでは、それが軽々と実現してしまうことがあります。
なぜなのだろうか。
この違和感に対して、私自身が大きなヒントを得たのが、キーガンらの成人発達理論でした。
■ 認知構造が大きく異なると、対話は成立しづらい
成人発達理論では、人は年齢に関係なく、「世界をどう意味づけているか(認知構造)」の発達段階が人によって異なるとされています。
重要なのは、
認知構造が大きく乖離すると、能力や知識以前に、そもそも対話が成立しづらくなる
という点です。
たとえば、
ある人は「正解・役割・評価」の話をしている
別の人は「意味・前提・関係性」の話をしている
どちらが良い悪いではありません。
ただ、見ている世界のレイヤーが違うため、言葉だけの対話ではすれ違いが起きやすいのです。
これは、多様なステークホルダーや顧客との対話の現場でも、組織内の議論でも、繰り返し起き続けている問題です。
しかしながら、人の認知構造は一朝一夕で成熟するものではありません。
この世界は、多様な認知構造(発達段階)を持った人たちが、同居し続けなければならない宿命を抱えています。
だからこそ、この問題は簡単には片付きません。
そもそも「問題」として捉えるべきなのか、という視座自体が重要なのではないか。
私はそう考えるようになりました。
■ それでも、段階を超えた対話が起きる場がある
一方で私は、6年間にわたりLSPを用いた実践の中で、
明らかに「発達段階の違いを超えた対話」が立ち上がる瞬間を、何度も目撃してきました。

普段は発言の少ない人が、静かに場に存在感を持つ瞬間
抽象的な議論が苦手だった人が、モデルを前に急に腑に落ちる瞬間
対立していた関係性が、説明なしに和らぐ瞬間
不思議なのは、誰か一人だけが救われているのではなく、
場にいる全員が何かを持ち帰っているという点です。
たとえば、こんな声をよく耳にします。
「抽象度が違うだけで、同じようなことを考えていたんですね」
「こうして俯瞰してみると、一緒に協力できそうですね」
「言葉にならないだけで、人はこんなに多くの意味を内包しているんですね」
「これからは、もっと聴き合いたいです」
この体験を成人発達理論の言葉で捉え直したとき、私はある仮説に行き着きました。
これは、正解のない問いに向き合いながら、フレームワークだけでは足りない何かを、薄々感じてきた方にとって、この話は他人事ではないはずです。
■ LSPは「発達段階の違いを溶かす装置」である
LSPの最大の特徴は、言語ではなく、生成物(ブロック作品)を媒介に対話が進む点にあります。
同じ材料
同じ時間
同じルール
その中で「つくる」ことから始まるため、発達段階によって参加の入口が分岐しません。
制作の構造を語る人
意味や物語を語る人
前提そのものを問い直す人
どの関わり方も、そのまま場に置かれ、意味を持ちます。
修正されることも、矯正されることもありません。
結果として、異なる認知構造が、同時に存在し、共鳴できる場が生まれます。
私にとってLSPは、
「発達段階を揃える技法」ではなく、発達段階の違いを溶かしてしまう装置
のように見えています。
■ 「段階を超えた対話」が起きる瞬間とは何か
このような場で起きていることを、もう一歩踏み込んで言うならば、
場全体が「発達の最近接領域(ZPD)」に入っている状態だと捉えています。
ZPD(Zone of Proximal Development)とは、
一人ではできないけれど、適切な支えがあればできるようになる範囲のことです。
LSPでは、誰かが誰かを引き上げているわけではありません。
教える人も、教えられる人もいない。
それでも、
自分の意味づけの限界に触れ
他者の異なる世界の存在に触れる
ことが、安全に起き続けます。
だからこそ、どの発達段階にいる人にとっても、恩恵がある。
LSPの場が「深い」と感じられる理由は、ここにあるのだと思います。
■ 「語れない人」が場にいる意味の再定義
ファシリテーターになりたての頃の私は、
作品に意味づけをし、ストーリーとして語ることが難しい人を前にして、
なんとか乗せなければ
物語を引き出さなければ
と考えていました。
しかし、実践と学習を重ねる中で、この認識は大きく変わりました。
今ではむしろ、
さまざまな人が、そのまま参加できていること
どんな作品も、場から排除されていないこと
その状態自体が、LSPの本質的な価値だと感じています。

うまく語れていないように見える人も、
「何も起きていない」のではなく、
内側で起きている変化が、まだ言葉になっていないだけなのかもしれません。
そして、その存在があるからこそ、
他の参加者もまた、語りを急がずにいられ、多様性に触れる余白を持てる。
これは、場にいる全員にとって価値のある状態です。
■ 正統的周辺参加としてのLSPファシリテーション
LSPの場には、次のような構造が自然に生まれることがあります。
メインファシリテーター
サブファシリテーター
参加者の中の有資格者
多くの一般参加者
しかし、誰かが「上」に立ち続けることはありません。
ファシリテーターは答えを持たず、
介入は問いや場へのフィードバックに留まります。
その結果、参加者は、
場を見る視点
問いを生成する感覚
沈黙を待つ態度
を、周辺から自然に学んでいきます。
これはまさに、正統的周辺参加の構造です。
LSPは、ファシリテーターを育てようとしなくても、
ファシリテーターが生まれていく場でもあるのです。
さいごに 〜成人発達理論 × LSP の核心
最後に、ここまでをまとめると、
成人発達理論とLSPの関係は、次のように言えると思います。
成人発達理論は、「なぜ対話が難しくなるのか」を説明する
LSPは、「それでも対話が起きてしまう場」を生み出す
LSPには、どんな人でも「人でいられる」仕組みがあります。
成熟を求めない。
成長を強要しない。
それでも、個も関係性も、静かに動き出していく。
私はこれからも、不確実性の只中で挑戦し続ける人たちとともに、
この可能性を信じ、人と場に立ち続けていきたいと思っています。
もしあなたが、
不確実性に立ち向かいながら、人の発達や関係性の成熟に関心を持っているのなら。
どこかで、同じ場に立てる日を、楽しみにしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました☆
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