コンストラクタル法則と線の文化史から読み解く、逸脱の構造的必然——なぜどんな組織にも「変態」が一人はいるのか
どの組織にも必ず一人はいる、扱い方が難しいあの人。彼らは単なる『厄介者』か、それとも組織の寿命を延ばす『生存装置』か。物理学と人類学の視点から、一緒に逸脱の正体を暴いていこう。
はじめに——経験則としての「最低一人の変態」
どんな組織にも、必ず一人は「変態」がいる。これは揶揄でも称賛でもなく、筆者自身がさまざまな組織に関わるなかで得てきた、ある種の経験則である。
その人物はたいてい、ルールを完全には守らず、評価軸にもきれいには乗らず、周囲からは「扱いづらい存在」と見なされがちである。
しかし同時に、その人物は、行き詰まりを最初に感知し、誰も見ていない抜け道を見つけ、後になって「実は重要だった行動」をしている、ということが少なくない。
本稿では、この「変態」を性格や資質の問題としてではなく、組織や社会といったシステムが存続・進化するために必然的に生じる存在として捉え直す。
そのための手がかりとして、自然科学者エイドリアン・ベジャンによるコンストラクタル法則と、人類学者ティム・インゴルドの『線の文化史(Lines)』を参照する。一見、遠く離れた理論のように見える両者は、「流れ」と「軌跡」という共通言語を通じて、驚くほど滑らかにつながっている。
1. コンストラクタル法則——流れは自由度を求め続ける
エイドリアン・ベジャンが提唱したコンストラクタル法則は、次のような原理を提示する。
流れをもつシステムは、より流れやすい形へと自己組織化していく。
河川、血管、交通網、都市構造。これらを観察すると、一貫して、一本の太い流れよりも、分岐をもった構造が形成されていることが分かる。
重要なのは、「無駄」「迂回」「失敗」に見える支流や回り道こそが、全体の流れを存続させる自由度になっている点である。効率的に見える単線構造は、環境変化に対して脆弱であり、詰まりやすい。
これを組織に置き換えると、非公式な社内ネットワーク、水面下のゲリラ的プロジェクト、新規事業への挑戦や結果の出ない試行錯誤といった活動が該当する。これらは効率性の観点からは「無駄」「統制外」「リスク」と見なされやすいが、ベジャン的に見れば、組織が詰まらないための逃げ道であり、流れを止めないための構造的必然である。
失敗もまた、一つの自由度なのである。
2. 線の文化史——人は道を歩きながら世界をつくる
一方、ティム・インゴルドは、人類の営みを「線(lines)」という視点から捉え直す。彼は、人の移動や行為を二つのモードに分けて論じる。
transport:出発点と到達点があらかじめ定められた移動
wayfaring:歩くことそのものが意味を生む遍歴
近代社会は、transportを正義としてきた。効率、最短距離、直線。だが、インゴルドが描く人類史は、本来、wayfaringの連続である。
人は目的地に向かう以前に、歩き、迷い、立ち止まり、その軌跡を線として世界に刻んできた。後から振り返ると、それらの線は物語となり、文化となる。
重要なのは、その時点では「無駄」「寄り道」「失敗」に見えた行為が、後から意味を持つという点である。
3. 「流れの形」と「残された線」
ここで、ベジャンとインゴルドの議論は重なり始める。
コンストラクタル法則における「流れの形」と、インゴルドにおける「残された線」は、いずれも行為の結果として立ち上がる構造を扱っている。
それらは、あらかじめ設計されたものではなく、動き続けた結果として現れる。組織においても同様である。計画された戦略よりも、実際に行われた試行錯誤の軌跡のほうが、後になって「道」として機能することがある。
変態とは、この「まだ道になっていない線」を描き続ける存在である。
4. 変態という存在の再定義
本稿でいう「変態」とは、リターンではなく、自身の興味関心や使命感、大義を行動原理とし、「できない理由」を並べるよりも「どうすれば少しでも前に進めるか」を考え、実際に手を動かしながら必要なリソースを自ら集めることを厭わない存在である。そして、そのプロセスそのものや自らの変容に、なぜか快感を覚えてしまう人間である。
これを構造の言葉で言い換えると、変態とは、システムの要請に完全には従わず、構造上のバグのように振る舞いながらも、流れが詰まる地点を敏感に察知する存在である。
彼らは秩序を壊そうとしているのではない。むしろ、秩序が固まりすぎることによる死を防いでいる。言い換えれば、変態とは、次の構造の仕様を先に生きてしまっている人間である。
組織はしばしば、この存在を排除しようとする。しかし皮肉なことに、変態を完全に排除できた組織は、長く存続しない。なぜなら、変態は組織における最小単位の自由だからである。
5. なぜ組織は「不自然な不自由」をあえて選ぶのか
それでもなお、組織がKPIやヒエラルキーといった「不自然な直線」を引こうとするのは、それが効率的にスケールするための生存戦略だったからである。
インゴルドの言うtransportが最短距離を求めるように、大量の人材や資本を動かすためには、迷いや寄り道を許さない予測可能なグリッドが必要だった。ベジャンの法則で言えば、流れを爆発的に増やすために、柔軟性を犠牲にして運河を固定する局面である。
人間社会における構造的変化にも、べジャンの法則はいきていると考えている。例えば、日本史における権力構造の変遷(天皇、貴族、武士、そして民主化)も、より多くの人をシステムに組み込むための「流れの最適化」の歴史として読み解くことができる。この大きな流れの中にあって、「不自然な不自由」として既得権を守ろうとする動きは都度都度、時に世代を超えた闘争として行われてきたが、やはり大きな流れには抗えなかったように見える。
現代は「直線の時代」がいよいよ限界を迎えていると言えるだろう。成長が鈍化するスローダウンの時代において、かつての効率的な運河は、変化に対応できない溝へと変わりつつある。VUCAやBANIなどと言われる予測不能な現代の閉塞感は、流れを直線に固定しすぎたことによる硬直化の表れである。そしてこれを打破する動きこそが、インゴルドのいうwayfaringを勝手につけまくる変態たちなのだと捉えられるだろう。
6. 変態を殺さないための「余白」の設計
変態を殺さないために、彼らを無理に理解したり、マネジメントしようとしたりしてはならない。管理しようとした瞬間に、彼らの描く線はtransportの計画図に組み込まれ、その生命力を失う。
組織が取り組むべきは、次の三点である。
第一に、百パーセントの効率をあきらめることである。流れを永続させるには、無駄に見える分岐が不可欠である。稼働率に数パーセントの説明できない余白を意図的に残すことが、変態が生存できる条件となる。
第二に、翻訳者という緩衝材を置くことである。変態の試行錯誤を、組織の言葉へと翻訳し、免疫反応による排除から守る存在が必要である。
※これは私が別の記事で言う「実践思想家」の役割が大きい
第三に、評価ではなく軌跡を鑑賞することである。変態の価値は、彼らが通り過ぎた後に残された線を見て、初めて立ち上がる。
結論——変態を殺さない組織へ
本稿で見てきたように、変態は例外ではなく必然である。自然科学的にも、人文科学的にも、人類史的にも。
組織に必要なのは、変態を管理することでも、英雄視することでもない。殺さないことである。
変態が描いた線を消さず、後から編み直すこと。変態的DIY実践を無駄ではなく軌跡として嗜むこと。
それは、不自然な不自由から回復するための、もっとも自然な営みなのである。
さて、あなたの組織の『余白』には、いま、どんな新しい線が描かれようとしているだろうか。
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