呉正男氏 5.電話
第1回台湾出身戦没者慰霊法要の記事を読み、ご縁がありながら数年ご無沙汰していた呉正男さんにダメ元でハガキを出して数日。
スマホに横浜の市外局番を示す着信があった。横浜? いろいろなおつきあいを減らしすっかり出不精になって数年、横浜に用事はないのだが。いまをときめくなんちゃら詐欺かもしれない、と放置した。
わたしの設定ミスなのだろうが、スマホへの着信が明確に表示されず、しばしば電話を「取りそこなう」ため、着信があったら履歴を確認し必要に応じて掛け直す、というアナログな対応をしている。しばらくたってから履歴で確認して驚いた。表示されていたのは「呉正男さん」だったのだ。つまりスマホに登録してある呉さんの(ご自宅の)固定電話からの着信があったということだ。
あっ! そうか、呉さんは横浜にお住まいだった! そもそも横浜のご住所宛にハガキを出したのだから、横浜の番号ですぐに察知すべきだった。
タイミングを見計らってお電話したら、呉さんご本人がお出になった。
「台湾出身戦没者慰霊碑の記事を読んでおハガキを差し上げたんですが、お電話をくださったのではないですか?」
「あー、二三四さん! あなたとはどこで会いましたかねぇ…」
「以前講演会で。その後台湾に行きまして、呉さんが台湾に里帰りなさったときもお会いしました」
「思い出した。高雄でね!」
久しぶりに聞いたお声は張りがあり、とても数え100歳とは思えない。
「お声に力がありますねぇ。お元気そうでよかったです」
「元気ですよ。でも今年に入ってから目がね…。すごく見えづらくなって、新聞は(見出しの)大きな字しか読めない」
そして
「慰霊碑に行くならご一緒しましょう」
なんでもご自宅から最寄り駅までと、駅から慰霊碑のあるお寺まではわりと近いとおっしゃる。
「お詣りのあとは駅前に戻って、ファミレス(実際には固有名詞をおっしゃった)でおしゃべりしましょう」
とも言ってくださった。
すぐに「では〇日にでも」と言えればよかったが、たまたま先々まで用事が立て込んでいたので、改めてご連絡します、と結んでその日の電話は終わった。
呉正男さん! ご自宅でお元気に暮らしておられたのだ!
だいたい、何年も連絡をとっていない相手(わたしです)を含め、電話番号をちゃんと整理してあり、ハガキをもらってそれを探してくる、ということ自体、100歳のすることではない(語弊があります)。どれだけ頭脳明晰なのだ!
電話を切ったあとじわじわと喜びと感謝がこみ上げてきた。もしかすると亡き父が「少しでも戦争中のことを聞いてきなさい、できれば幹部候補生についてもね」とご縁を結び直してくれたのではないか。呉さんも100歳、この機会を逃してはならない。
【お知らせ】呉氏に関する投稿はマガジン「呉正男氏―台湾出身の元陸軍特別幹部候補生」に集約。
