文字を持たなかった昭和413 おしゃれ(9) チョッキ

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 これまでは、ミヨ子の生い立ち、嫁ぎ先の農家(わたしの生家)での生活や農作業、たまに季節の行事などについて述べたが、ここらで趣向を変えておしゃれをテーマにすることとし、モンペ上に着る服足元姉さんかぶり農作業用帽子帽子、そして「毛糸」と呼んでいたニット製品などについて書いた。などについて書いた。時期は概ね昭和40年代後半から50年代前半だ。

 ミヨ子が着ていた「毛糸」の衣類で忘れられないものが二つある。そのひとつは「チョッキ」、いまでいうベストだ(いったいいつからチョッキがベストと呼ばれるようになったのだろう?)

 そのチョッキをミヨ子がいつ頃、どこで手に入れてきたのか、二三四(わたし)はよく思い出せない。そもそも知らないのかもしれない。ただ気がついたとき、二三四が中学生ぐらいのときには、ミヨ子はこのチョッキを愛用していたと思う。

 チョッキは手編みではなく機械編みの市販品だった(ミヨ子は編み物はできなかった)。紫がかったピンク色でVネック、左右の前身頃には縦1本ずつの縄編みが並んでいてアクセントになっていた。少し厚手で、腰まで覆う長さがあった。ただミヨ子は小柄だったから、身丈はそれほど長いというわけでもなかっただろう。

 このチョッキを、ミヨ子はいたく気に入っていた。初めはお出かけ用というか、ここぞというときしか着ていなかった。それでもやがて少しずつくたびれてきたのだろう、だんだんとふだん着の上に着るようになった。それでも、寒くても農作業のときに重ね着することはなかったと思う。そのくらい大事に大事に着ていた。

 どのくらい気に入っていたかというと。のちに二人の子供たちが巣立って、夫婦二人暮らしになり、やがて夫が亡くなって一人で暮らすようになり、それもいろいろ不便だろうと長男の和明(兄)一家が引き取ったのがかれこれ10年近く前だが、そのとき持ち込んだ衣類の中にもこのチョッキが含まれていた。

 チョッキはいまでも健在で、セーターを着こむほどではない寒さのときはまだ活躍している。

 薄めの紫色はミヨ子が好きな色だ。自分の好きな色の、そしてたくさんの思い出がまとわりついているこのチョッキを着ると、安らぐのだろう。「ライナスの毛布」みたいなものかもしれない。

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