文字を持たなかった昭和 終末期09 持ち物整理(2)衣類
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。(前項「持ち物整理(1)押入れ」はこちら)
昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変、わたしは鹿児島へと向かった。ミヨ子さんは一時より安定したものの点滴だけで命をつないでいる。病院規定で面会の間隔を1週間以上空けなければならず、手持無沙汰なわたしはミヨ子さんの持ち物を整理すべく押入れを開けた。
下段の衣装箱に収められたものは確認したが、本人以外は使いようがないものだった。次は上段。突っ張り棒を渡してクロゼット風に使えるようにしてあり、どちらかと言うとちょっとしたお出かけに着ていたと思われるものがハンガーに架けて吊るしてある。
お嫁さん(義姉)の「二三四ちゃん(わたし)が着られるものは持って行って」という言葉を意識しながら一着ずつ見ていく。が、いま着たいと思うものはもちろん、わたしがあと10年、20年経ったときに着るかもしれない、と思えるものはほとんどない。たまにあっても、それはミヨ子さん自身もお気に入りでよく着ていたのか、背中が擦れていたりと痛んでいる。
思い出という視点で言えば、気になるものはたくさんあった。ミヨ子さんに買ってあげたものは、その時期とそのときの気持ち、そしてミヨ子さんの反応も思い出す。思い切って「鹿児島でいちばん高級」と言われているホテルにお泊りするときに、おしゃれに見えるよう買ったグレーのカーディガンもあった。これを着せていっしょに豪華ブッフェを食べたのはつい3年半ほど前だ。
もっと気になるのは、ミヨ子さんが現役主婦で、わたしも実家にいた頃から大事に着ていた衣類の数々だ。くすんだピンクのオーバーコートは合成皮革だが、風を通さないからと冬のお出かけには重宝していた。形が古くなっても「どこも痛んでないから」と大事に着続けていた。
縄編み模様が施された、紫がかったピンク色のベストもずいぶん長く着てきた。ミヨ子さんは寒がりだが、家事や農作業のときに「肩がせっなかで」(肩が窮屈だから)と厚着は避け、袖のないベストタイプの防寒着を内側に着るのを好んだ。
いちばんのお気に入りは、緑色のカーディガンだろう。わたしがうんと小さい頃から外出着として大事に着ている。その印象深さについては、ミヨ子さんの半生を綴った「文字を持たない昭和」の「おしゃれ(10) カーディガン」でも触れた。
まさかおばあさんになってからまで着るとは思わなかったが、同居先のカズアキさん(兄)宅にもしっかり持って来て、デイサービスなどの外出着として着続けたのだから、よほど気に入っていたのだろう。昨年11月の帰省でふるさとに連れて帰ってあげたときも着ていて、noteの投稿にも写っている。
それらのひとつひとつを、着ようと選んだとき、着て出かけたり過ごしたりしたときのミヨ子さんの心情を想像していると時間はいくらあっても足りず、どの衣類も簡単には処分できない気分になってしまう。
もっともそれはすべての「モノの整理」にありがちなことでもあり、わたしはある意味心を鬼にして、ミヨ子さんの思い出に一着だけを選ぶことにした。
わたしが選んだのはやはり緑色のカーディガンだった。
(次は「持ち物整理(3) 手紙など」》)
※写真は押入れの右半間。緑色のカーディガンを掛けて撮影した。手前の畳んだベストも文中で触れたもの。
※メインタイトルを「最近のミヨ子さん」から「文字を持たなかった昭和 終末期」に変更しました(2025/3/1)
