文字を持たなかった昭和 終末期10 持ち物整理(3)手紙など
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。(前項「持ち物整理(2)衣類」はこちら)
昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変、わたしは鹿児島へと向かった。ミヨ子さんは一時より安定したものの点滴だけで命をつないでいる。病院規定で面会の間隔を空けなければならず手持無沙汰なわたしは、ミヨ子さんの持ち物を確認すべく押入れを開け、衣類の整理に取り掛かった。
それは形見分けの意味も含む作業だった。わたしにも思い出のある衣類の中から、ミヨ子さんが長年愛用した緑色のカーディガンだけをもらうことにした。
次はほかの持ち物だ。デイサービスに通っていた頃にトレーニングの一貫で作ったらしき紙製の工作物や塗り絵などがたくさんあった。通い始めた頃は「子供だましみたいなことをさせられる」とあまり乗り気でなかったデイサービスも、やがてむしろ楽しみにするようになったミヨ子さん。いかにも筆圧の弱い塗り絵を見ながら、あの心情の変化の背景は何だったのだろう、と考える。
ミヨ子さんと同居してきた息子のカズアキさん(兄)からは「二三四(わたし)が出した手紙も全部とってあってすごい数だぞ。それも見ておけよ」と言われていた。
数年前、ミヨ子さんの認知機能の低下が顕著になり、まとまった文章は読めないだろうと思われ始めた。それでも娘のことを忘れてほしくなく、月に2回くらいはハガキを出していた。それ以前は手紙もよく出していたし、もちろん誕生日、母の日、敬老の日などはカードを送っていたから、なるほど我ながらすごい量である。
手紙類の多くはかばんに入れたうえでレジ袋に包まれていた。レジ袋の持ち手は固く結ばれている。大事なものだからと幾重にもしまい、きちんと結んでおいたのだろう。ミヨ子さんの結び目。
開けてみると、デイサービスのお便りや写真と私の手紙が一緒に入っている。私の別々の手紙がまとめてひとつの封筒に入っていたり、空の封筒があったりもする。
ミヨ子さんは自分のルールに基づいて整理していたのだろうが、ある時期からは、そのルールを忘れたり、整理している途中でわからなくなったりで、適当にしまい込んだものも多くあったのだろう。その経過、変化を考えると娘としては切なくなる。
そういえば、と思い出す。
電話やビデオ通話の終わり際、ミヨ子さんに「また手紙を出すからね」とわたしが言うと、ミヨ子さんは必ず「いつももらうばかりで返事もしないで(悪いね)」と返し、続けて「もろたた 全部取っちゃったっどんね。焼ったくったい、うっせたいはしちょらんたっで(もらったもの=手紙は全部とってあるんだけどね。焼いてしまったり、捨てたりはしてないんだから)」と付け加えたものだった。
「焼ったくっ(焼いてしまう)*」なんて、元の家のようにゴミを庭で焼いて処分するなんてもうあり得ないのに、とわたしは心で苦笑したが、ミヨ子さんの中で「完全に処分する」とは燃やしてしまうことだったのかもしれない。
処分されずむしろ大事にしまわれた、しかし「順不同」の手紙やハガキたちも、持ち主が帰ってこないことに戸惑っているように見えた。わたしは、一部でも手元に残しておこうかと一瞬考えたものの思い直し、これらの手紙類も片づけてしまうことにした。わたしが気持ちを込めて書き綴り投函し、それをミヨ子さんが読んだ時点で、手紙たちの使命は終わったのだから。
ただ、ずっと奥の方に、もっと古い年賀状の束があった。見れば宛先は元の家の住所で、多くはミヨ子さんと夫の二夫さん(つぎお。父)の二人宛てになっている。つまり、カズアキさん一家と同居を始める前の何年か分の年賀状を、持って来て大事にしまっておいたのだ。二人の晩年の暮らしが垣間見えるそれらの年賀状だけは、わたしがしばらく預かっておくことにしよう。(次は「持ち物整理(4) アクセサリー類」)
*鹿児島弁:動詞「焼っ」(焼く)に、「~しつくす、~し散らす」という意味の強調の「たくっ」(たくる)がついたもの。「塗いたくっ」(塗りつける、塗ってぐちゃぐちゃにする)、「書ったくっ」(書き散らす。落書きなど)などと使う。概ねその行動の結果汚れる、散らかるなど、よくない状態になる場合に用いる。
※メインタイトルを「最近のミヨ子さん」から「文字を持たなかった昭和 終末期」に変更しました(2025/3/1)
