文字を持たなかった昭和 終末期44 3月20日③ 今回5回目の面会
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況について、「3月20日②」にそのまま続ける。
入院先の病棟に上がり、ミヨ子さんの病室に入る。今回の帰省で5回目の面会だ。しかも、期せずして二人きりで会えることになった。長男のカズアキさん(兄)はすぐそこの駐車場にいる。「兄ちゃんも来ればよかったのに」とも思うが、やっぱり一人のほうが気楽だ。母親を独占できているという気持ちもある。
ベッドを覗くとミヨ子さんは寝ていた。「二三四だよー」「また来たよー」「昨日も来たけど、寝てたよねー」などと、しばらく声をかけてみるが、ミヨ子さんはまだ寝ている。
前日の右手のむくみが気になり布団を捲る。この日は左手にもむくみが出ていた。それに、両方の手ともにひんやり冷たかった。血液が行き届いていないのだろうか。むくんでいること自体血液循環がよくないということでもある。わたしは両方の手を交互に擦った。
そのうちミヨ子さんは目を開いた。これまでは、目を開けても焦点が定まらないというか、遠くを見ているような感じだったが、この日はしっかり見開かれ、黒目でわたしを見ているように見えた。そして、口をけっこう大きくパクパクさせた。何かを言おうとするように。
そのうちミヨ子さんはまた目を閉じた。眠っているように見える。わたしは、これまでの面会で言う機会がなかった、しかしずっと気になっていることを耳元で伝えた。つまり――若い頃から海外を飛び回り心配をかけ続けたことへの詫び。いまは暮らしぶりも安定して幸せに暮らしているから、もう心配しないで、といったことなどを、だ。
するとまたミヨ子さんの目が開かれ、何かを話すような素振りを何回か続けた。終末期、意識がないように見えても聴力は最後まで残るというが、やはりちゃんと聞こえているのだと思う。ミヨ子さんは、わたしとしっかり会話してくれたのだ。
面会の最後にわたしは「大事な用事があるから、明日いったん(自宅に)戻るね。また会いに来るから、もうちょっと頑張ってね」とミヨ子さんに語りかけた。たしかに3月22日には首都圏にいたい大切な用事があり、前々から「この用事だけは終わらせてほしい」と、心の中でミヨ子さんにお願いし続けていたのだ。
ただ「もうちょっと頑張って」は本意ではなかった。もうミヨ子さんは十分に――飲まず食わずで――頑張ってきて、心(魂)はほとんどこのベッド(体)におらず、呼びかければたまに帰ってくるだけだ、とわたしは思っている。こんなところに縛られて(繋がれて)ないで、すっかり楽になってほしい、というのがわたしの本心だった。
もちろんそれは、わたしの死生観に基づく一種の願いのようなものであり、多くの人には理解されづらいかもしれない。
ところで、前の日に感じた独特の匂いは、この日は特に気づかなかった。面会を終えてナースステーションに立ち寄る。看護師さんが
・前の日からとくに変わったところはない。
・尿も少しずつ出ているし、低いレベルながら安定している。
と説明してくれた。
わたしは、お礼とともに明日いったん自宅へ戻ることを告げ、「引き続きよろしくお願いします」と頭を下げた。
車に戻りミヨ子さんの様子をカズアキさんに伝える。カズアキさんはモニター画面のデータのことも併せて「当面こんな感じが続くんだろうな」と呟いた。
わたしはと言えば、この1カ月半ほどで2回目となる復路のフライトを翌日に控え、「もうちょっと頑張ってね」の先にも、生きての再会はないかもしれないと思っていた。(次は「3月21日から22日」)
