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字を持たなかった昭和 終末期43 3月20日② モニター画面、だけ?

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況について、「3月20日①」にそのまま続ける。

 薩摩藩主島津氏の別邸跡である仙厳園の見物を終えて、わたしは再び電車に乗り元来た方向へ移動、日豊線から鹿児島中央駅で鹿児島線に乗り換えて2つ目の上伊集院で降りた。今回5回目のミヨ子さんとの面会のためだ。

 長男のカズアキさん(兄)宅へいったん戻り、お嫁さん(義姉)にお土産を渡しながら仙厳園の報告をする。お嫁さんの車で行く前提で、面会時間の4時の「10分くらい前に出る?」と尋ねると「カズアキさんが連れて行くと思うよ。今日は休みだからまた畑に行ってるけど、面会に間に合うように帰るって」。noteで何回も触れているが「畑」とは実家跡でカズアキさんが営んでいる、趣味の家庭菜園のことだ。

 軽いショックである。低いレベルなりにミヨ子さんの容態が安定しているようなので、わたしは翌(21)日いったん自宅に戻ることにして、航空券の手配もすませていた。つまり、この日の面会が当面の最後の機会で、もしかするとミヨ子さんと会うのはほんとうに最後かもしれない。

 カズアキさんが同行すると「15分の面会時間厳守」を意識せざるを得ず、ミヨ子さんとの会話もつい遠慮がちになる。面会にも気持ちの余裕がほしかったのに……。

 ほどなくカズアキさんが帰宅した。畑帰りの作業着を着替え「(面会時間の)10分くらい前に出るぞ」。はいはい。

 しかしカズアキさんの車に乗り込むと、驚くべき一言を言い渡された。
「オレは病棟には行かないから。病室に入ったら(心電図などの)モニター画面の写真を撮って、スマホのメッセージで送ってくれ」

 わたしは一瞬絶句し、「(モニター画面の)写真だけでいいの?」とようやく返答する。「それでいい。だいたい、面会は週に1回という規定なんだし」。………そうですか。病院側に気を使っているのだろうか。この期、つまりミヨ子さんがいつ危篤になってもおかしくないという状況に及んで、そんな規定にこだわる必要もないだろうに。

 5分もかからず車は病院の駐車場に停まった。ドアを開けながら「ほんとに(2階の病室に)上がらない?」と訊くと「いいって言っただろう」とかなり強く言い返された。もっとほかの、あるいはもっと柔らかい言い方があるだろうに。

 もっとも、この物言いはミヨ子さんの亡夫・二夫さん(つぎお。父)によく似ている。ミヨ子さんはこの言い方で、妻としてのほとんどの期間をやり込められてきた。そんなところは似なくていいのに。付け加えれば、残念なことにわたしも似たような反応や物言いをすることがある。自覚はしているが咄嗟のときなかなか修正できない。子は親の背中を見て育つというが、わが家の場合父親の影響力が強大だったのだなぁ、としみじみ思う。

 休日なので、わたしは一人で夜間休日用の出入口から病棟へ入った。ナースステーションも人が少なめでいつもより静かだ。看護師さんに声をかけ面会簿に記帳し、病室へ案内してもらう。モニター画面は、ミヨ子さんの容態が(低いレベルなりに)安定していることを示していた。わたしは早速その画像をカズアキさんに送った。(「3月20日③」へ続く)

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