文字を持たなかった昭和 終末期33 3月16日③ カズアキさん

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況として、「3月16日②」にそのまま続ける。

 面会を終えて長男のカズアキさん(兄)宅へ戻った。夜、一家はスポーツ中継を見ながら談笑している。いったん落ち着いたからあとは状況を見守るだけ、というスタンスのようだ。「その時」はいずれ来るし、それまで日常はいやでも続いていく。弱った人に合わせてくよくよしていてもしかたがない。それもまたわかってはいるのだが。

 カズアキさんから「二三四はまた慌てて駆け付けた」と言われた。2月に一度帰ったとき、結局ミヨ子さんが持ち直し、すごすごと(?)引き揚げたことを言っているのだ。お嫁さん(義姉)は「危篤とか、あと一両日とか聞かされたら、誰でも駆け付けるわよ」とフォローしてくれた。

 そんなふうに淡々としているカズアキさんだが、とても印象に残っている光景がある。

 この日の面会の時、カズアキさんは心電図のデータを確認し、ミヨ子さんに少し声がけしたあとはベッド脇に立ってスマホをいじっていた。どうやら以前の心電図のデータと比べて、自分なりのメモを作っている風だった。 わたしは「せっかく面会に来たのだから、もっと近づいてお話ししてあげればいいのに」と心の中で半ば文句を垂れていた。

 面会時間が終わった別れ際、カズアキさんはミヨ子さんの頭を軽く撫でて「お利口だね。ゆっくり休んで」と言った。

 ミヨ子さんの意識がほとんどなくなって以降、カズアキさん夫婦は面会の度に写真や動画を添えて状態を送ってくれてきた。カズアキさんは、80代半ばになって体調を崩しがちになったミヨ子さんと同居を始めてから、ミヨ子さんには何かと「指示」「指導」し、それは常に命令口調で、やさしい言葉をかける場面を見たことがなかった。そして最近の動画の中では「お利口だね」などと、ほとんど小さい子に言うような口調が増えていた。わたしはそれをスマホで見るたび、「兄ちゃんてば、また上から目線で」と苦々しく思っていた。

 しかし、この日の別れ際のシーンをあとから思い返して、わたしははっとした。

 カズアキさんは、農家の跡を継ぐことが当然の立場として生まれ、それはそれは大切に育てられた――と二つ違いの妹の目には映った。最初の子、しかも跡継ぎとなるべき男の子を死産させてしまったミヨ子さんにとって、次も男の子を産んだことは救いであり誇りであっただろうし、カズアキさんは何としても守り、立派に育て上げたい存在であったはずだ。

 わたしが知るカズアキさんは、近隣の同年代の男の子たちと野山を駆け回ったりいたずらをしたりしてしょっちゅう親に怒られている「てんがらもん」*だった。が、わたしが生まれる前、あるいは物心がつく前、母と息子だけの強いつながりがあっただろう。ミヨ子さんはカズアキさんに「お利口にしてなさいよ」と折に触れて言っていたのではなかったか。

 記憶にとどまっているかどうかの幼い日々母親からそうされたように、カズアキさんは母親に語り掛け、頭を撫でているのではないか。

 だとしたら、上から目線のような「お利口さん」もカズアキさんなりの愛情表現なのかもしれない。わたしが知らない、想像もできない母子関係が、ミヨ子さんとカズアキさんの間に当然ながらあるだろう。妹と言えども傍から簡単に評価してはならないのだ。こと、ミヨ子さんとの時間がわずかになった今は。(次は「3月17日①」)

*鹿児島弁で「お利口さん」を指すが、逆説的にいたずら小僧、手に負えない人などの意味で使うこともある。
《参考》鹿児島弁ネット辞典>てんがらもん

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