文字を持たなかった昭和 終末期32 3月16日② 見ていて辛い



 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況として、「3月16日①」にそのまま続ける。

 ミヨ子さんは2月より体も顔もどんどん縮んでいっていて、見ていて辛い。この日わたしは気づかなかったが、お嫁さん(義姉)によれば独特の匂いがするようになっていると言う。医療小説などでは「その時」が近づくと、果物が腐ったような匂いがしてくるらしい。その匂いでなければいいのだが。

 ベッド脇に下げられた目盛り入りの袋に流れ出てたまった尿は血のような色だった。看護師さんは血尿ではないと言う。いわゆる「尿が濃い」状態なのだろう。

 もともとミヨ子さんは腎臓機能が低下していた。老廃物が尿として十分に排泄されないためだろう、体にむくみが生じている。とくに左脚がひどい。紫色に腫れ、あくまで素人目ではあるが一部に壊死の兆候も見受けられた。

 たぶん心臓は丈夫で、点滴として静脈から入ってきた水分と栄養を心臓に取り込んで体内に送り出す機能は正常に稼働しているが、血行も水分の配置も、体のあちこちで均衡がとれていないのではないか、という印象を受ける。老廃物をうまく排出できないと、敗血症などのリスクも高まるだろう。

 原則15分の面会時間を少しだけオーバーし、看護師さんたちに挨拶して病院を出たら腰が痛いことに気づいた。ベッドの手すりがあるので体をねじ曲げるような不自然な姿勢でミヨ子さんに近づくしかなかったのだ。

 この病院は、一人の面会者につき(入院患者一人につき、ではない)面会は1週間に1回という規定だが、さすがに容態が悪化しているためと、遠方から面会に来ているという事情を勘案してくれてか、続けて面会に来ていいことにしてくれているらしい。長男のカズアキさん(兄)夫婦が相談してくれたのだろう。ただし面会時間はやはり原則15分だ。

 この日の感じでは、ミヨ子さんの容態は低いレベルなりにまた安定したようにも見え、数日いて変わりがないようなら、また一旦引き上げることも考えようかと思った。

 なにより、会ってみて思ったのは「もう十分かな」ということだった。機器に繋がれた状態でゆっくりと、しかし確実に衰弱していく様子を見るのが辛い。一種の「看取り」ではあるが、病室で貼り付いているわけにもいかない。カズアキさん夫婦にも何回か言われているが、ミヨ子さんがカズアキさん家族と同居を始めてからもわたしはちょくちょく顔を見せに帰り、外出や温泉旅行に連れ出したりもした。十分に孝養を尽くしたとは思えないが、やれることはある程度やってきたとも思う。

 お嫁さんも「面会に行くと辛くなる。カズアキさんが行って様子を教えてくれればそれでいいかな」と言っている。

 ――そんなことの詳細を、いくつかの写真とともに自宅にいるツレにメッセージで送りもしたが、むくんだ脚を撮ってみた写真は残酷でとても送れなかった。(「3月16日③」へ続く)

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