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文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 18)  菩提寺の納骨堂

 昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省し、郷里へ連れて行ったお話である。入所後初めて施設(グループホーム)で再会し、車椅子も車に積んでふるさとへ。寄り道が祟って食堂には予定より遅れて到着、昼食は順番待ちになった。ミヨ子さんのトイレをなんとか介助したあとやっと食事が始まったが、ミヨ子さんが食べる速さは格段に落ちており時間はますます押してきた

 食事を終え、脚の支えが利かないミヨ子さんをなんとか乗せたあと車を走らせる。小さい町なので移動は楽だ。

 今回のミヨ子さんのふるさと再訪で、家があった場所以外にどうしても行かせてあげたいところがふたつあった。ひとつは、夫の二夫さん(つぎお。父)や舅姑(祖父母)、そして死産だった最初の子〈290〉が眠るお墓だ。ミヨ子さんたちが60代くらいのとき、元の墓地から菩提寺の敷地内の納骨堂の一画へ移したものだ。もうひとつはミヨ子さん自身の両親やきょうだいが眠るお墓で、これは元いた家と同じ集落にある。

 まずは菩提寺へ。もともとは車椅子に乗せて納骨堂の中にまで連れていくつもりだったが、ミヨ子さんの乗降車がこんなに大変だと知ってしまっては、とうてい困難だと判断せざるを得ない。

 車を納骨堂の前に停めミヨ子さんに声をかける。
「お母さん、お寺さんのお墓だよ」
ミヨ子さんは自分も降りると思ったのか一瞬反応した。わたしは続けて言わざるをえない。
「時間がないから、わたしが代わりにお参りしてくるからね。お母さんは車からお参りして」

 わたしは階段を10段ほど上がり、入口の引き戸を大きく開放した。奥のご本尊に焼香したあと、入口にいちばん近い列にあるわが家の祭壇の扉を開ける。車からも見えるように。

 小型のお仏壇のような祭壇には、息子のカズアキさん(兄)がお参りして置いていった焼酎の小瓶と乾きものの小袋がお供えしてある。わたしは帰省ついでに寄った屋久島で買い求めた焼酎「三岳」のミニボトルと、用意してきたお供えのお菓子を「追加」した。焼酎もお供えも、カズアキさんが次にお参りするとき新しく持ってきたお供えと入れ替えるだろう。ペットボトルタイプの「三岳」は島内でしか流通していないそうだから、焼酎好きのカズアキさんにはもってこいだ。。

 祭壇に手を合わせ、心の中で「お父さん、お母さんが来てるよ。しっかり見守っててね」とつぶやく。しかしいかんせん時間がない。形だけ拝んだ、と言われてもしかたがない慌ただしさだ。

 祭壇の扉を閉めて振り返ると、ミヨ子さんはぼんやりと前を見ていた。車に乗っている状態で「お参りして」と言われても無理があるよなぁ……。わたしはため息をつく。

 しかし、感傷に浸っているヒマはない。家があった集落へ引き返さなければ。

〈290〉最初の子供を亡くしたことは「文字を持たなかった昭和 四十四(初めての子供)」などで詳しく述べている。

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