文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 6) ふるさと再訪へ
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に帰省した際、数時間ながら外出させ郷里へ連れて行ったお話を書こうとしている。そのための準備と(ふるさと再訪準備①~④)、外出前夜について述べたところだ。
外出当日は好天で予想最高気温は25℃を超え、11月にしては異常とも言える温かさだ。念のため羽織るものをお嫁さん(義姉)から預かりはしたが使わなくてもすみそうだ。
ツレが運転するレンタカーは、予告した10時より少し早く施設(グループホーム)の駐車場に着いた。事前に連絡してあったケアマネージャー(ケアマネ)さんに挨拶し手土産を渡す。手土産のお菓子も、入所者の人数分に加え、パート勤務がほとんどらしい職員さんの分は多めにして、と考えるとけっこうな数である。
施設の中に入ると、食堂を兼ねるホールのテーブルの一角に車椅子のミヨ子さんがいた。ちょうど職員さんの一人が車椅子の後ろに立って「今日はどこへ行くの?」と尋ねている。わたしとツレが入ってきたのを見て「あら、この人は誰?」とミヨ子さんに訊く。わたしたちはうっかりしてマスクを着けていなかったから、顔はわかるはずだ。
ミヨ子さんはわたしの顔をまじまじと見て、一言
「娘」
と放った。
苦笑した職員さんが「娘さんのお名前は?」と尋ねるが、名前が出て来ない。わたしは最初に一文字、つぎは二文字とヒントを小出しにしたが、結局フルネームを言うまで思い出してもらえなかった。毎週ハガキを出し、最後に「二三四より」と太い文字で記してもいるのに、つらい。それでも、顔を見てすぐに娘だと思ってもらえたことはありがたいと思わねばなるまい。
職員さんから車椅子を引き継ぎ、ミヨ子さんを外履きに履き替えさせて、車へ推して行く。ミヨ子さんには助手席に乗ってもらう。男性のケアマネさんが乗せてくれたのだが、ミヨ子さんは自分で立つことがほとんどできない。小柄で40kgぐらいしかない体であっても、そのまま乗せるのはけっこう大変そうに見えた。
あとで思えば、そのとき乗降の際のコツを聞いておくべきだったが、それは後の話として。
車椅子は畳んで立てた状態でトランクに積んだ。「再訪準備④」で述べたとおり、後部座席のシートを倒さなくても車椅子を搭載できるタイプの車種を選んだのだ。それでも、車椅子自体大きめなのか、若干シートを倒した状態になってしまった。
鹿児島市の北郊外にあるこの施設から、ミヨ子さんのふるさとまでは有料道路経由でも30分はかかる。この日施設では入浴サービスも予定されていた。入浴は午後1時半からだが、順番をやりくりして2時半までに戻ればいいようにしてもらった。それでも、往復の移動を入れて4時間半、正味3時間ちょっとしかない。のんびりしてはいられないぞ。
ミヨ子さんのシートベルトを締めてあげて、わたしはその後ろの席に乗り込む。車椅子が頭の上に倒れ掛かってくるがやむを得ない。いざ出発だ。
