文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 1) ふるさと再訪準備①

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸に庶民の暮らしぶりを綴ってきた(それが一段落したあとは、ミヨ子さんの舅・吉太郎さん、わたしにとっての祖父について書き進めている)。

 これまでも日頃のミヨ子さんの状況を随時メモ代わりに書いている。最近また様子を見に帰省したので、本項からしばらくはその際の様子を書いてみたい。これまでも3回帰省のエピソードを書いたが〈283〉、今回はタイトルに時期を入れておくことにした。

 さて、下準備である。

 航空券やレンタカーの予約、お土産、持ち物といったいわゆる旅の支度のほかに、今回は特別な目的のための準備があった。それは、介護施設(グループホーム)に入所しているミヨ子さんの外出のためのものである。

 今年6月末に入所して(帰省計画時点で)約4カ月、ミヨ子さんは病院以外で施設の外に出たことがない。施設では短時間の外出も一時帰宅などの外泊も認めており、入所前にわたしが「ご挨拶」の電話をした際は「帰って来られたら、近所の喫茶店にでもお連れしてあげてください」と言われていた。

 ただミヨ子さんは車椅子生活である。車で連れ出したとして、外出先でも車椅子に乗せ換えてあげなければならない。その辺りがハードルになってか、入所前まで同居していた息子のカズアキさん(兄)家族もちょくちょく面会に行ってくれているが、外出させたことはないようだ。

 しかしわたしは、ミヨ子さんに郷里を見せてあげたかった。

 noteにずっと綴ってきたように、ミヨ子さんは若い頃の数年を佐賀の紡績工場勤めで過ごした以外、ずっと鹿児島の小さな町の農村地帯で暮らしてきた。しかも、のちにわたしの父となる結婚相手が同じ集落の青年だったから、人生のほぼすべてをその集落で過ごし、うち60年ほども嫁ぎ先の家で暮らしたことになる。

 10年ほど前息子たちとの同居が始まったが、ミヨ子さんはなにかにつけ郷里に帰りたがった。認知機能が低下するにつれ、その言動からは、郷里での思い出はより鮮明になっていくように感じられた。

 ほんとうはふるさとに帰りたいはず。それがわたしの一貫した推測だったし、いまでもそう思っている。

 歩行が困難なミヨ子さんを連れ出すことは、連れ出す側にも負荷が大きい。ミヨ子さんの状態ももちろんだが、こちら側の身体的・精神的そして経済的状態を考えると、この先何度も外出の機会があるとは思えない。

 それで、この帰省期間の半日をミヨ子さんのふるさと再訪に充てることにしたのだ。

 問題はそのための準備である。考えておくべきことは多い。わたしは、(毎度)運転手兼運搬担当となってくれるツレとともに、さまざまな準備にとりかかった。(へ続く)

〈283〉帰省余話は27、続・帰省余話は33、続々・帰省余話は126

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