文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 5) ふるさと再訪前夜

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸に庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 最近またミヨ子さんの様子を見に帰省し、介護施設入所中のミヨ子さんを郷里へ連れて行った。このところはそのための準備について書いた(ふるさと再訪準備①)。

 帰省の前半には、まずミヨ子さんの末の妹(叔母)がいる屋久島まで飛んで数日を過ごした〈284〉。そのお土産話も持ってミヨ子さんに会おう、という計画でもあった。

 屋久島から「上がって」きて――島の人たちは本土に行くことを「陸(おか)に上がる」と言う――、その夜はミヨ子さんが施設入所まで同居していた息子のカズアキさん(兄)の家に泊まらせてもらった。

 屋久島焼酎「三岳(みたけ)」の島内限定版や、トビウオ100%のさつまあげなどお土産をたんまり買い込んで高速船「トッピー」に乗り、ツレが運転するレンタカーに乗り継いでカズアキさん宅に着いたのは夕方。

 お嫁さん(義姉)が鹿児島黒豚のしゃぶしゃぶを用意してくれていて、挨拶もそこそこに早速「だれやめ」(晩酌)が始まった。移動中にほどよく解凍されていた冷凍のトビウオさつまあげも、つまみに加える。

 屋久島でのあれこれの報告が一段落すると、話題は自然と「明日のこと」に。ミヨ子さんを郷里へ連れて行くのは翌日だからだ。

 ほんとうは、施設で1回は面会し、ミヨ子さんの様子を確認したり施設側の意見を聞いたりして、外出はその翌日以降に、という流れにしたかった。しかしツレの休暇の関係で、島から「上がった」翌日外出というスケジュールにせざるを得なかったのだ。しかも、施設入所後のミヨ子さんと会うのは、わたしもツレも初めてだ(正確にはミヨ子さんが緊急入院した際にお見舞いに行ったが、本人は覚えてないだろうし、会ったことにならないだろう)。不安は当然ある。

 カズアキさん夫婦に翌日の予定を話したが――車で郷里へ連れていく計画についてはもちろん事前に伝えてある――、こちらが思うほどには不安はなさそうだ。

 で、車に乗せるに当たっては
「お母さんの状態を見て、郷里まで行くかはお母さんの気持ちも聞いて……」
とわたしが言い、ツレもそれに同調したとき、カズアキさんがいきなり
「本人の気持ちって、母ちゃんに何を聞いても自分で判断はできないぞ」
と覆いかぶせるように言った。

 そんなこと、わかってるよ。認知機能がかなり低下していることは、もうだいぶ前から知っていることだもの。だけど、訳もわからずに車に乗せられたら本人も不安になるでしょうよ。いくら娘でも久しぶりに会うんだから、どっちも多少は不安でしょうに。なにより「今日は元のおうちの辺りへお出かけするよ、いいよね?」と声をかけてからにしてあげたい。それが最低の礼儀であり、心遣いではないの?

 と反論したいが、男尊女卑の風土、しかも家長最優先の家庭で育ったわたしには、「現家長」に等しい兄にはなかなか意見できない。「だれやめ」でいい気分になっているのに水を差したくないというのもある。

 そこはやり過ごして、時間配分やミヨ子さんに羽織らせるものなど事務的(?)な確認にとどめた。「帰省」と言っても帰るべき実家はとうになく、いろいろ気を遣うのだ。

〈284〉屋久島でのあれこれは「つぶやき」として、「ポンカン原木①」「屋久島に流れ着いた媽祖娘娘」「屋久島栗生地区の墓地」「屋久島栗生地区の旧街道」で、ミヨ子さんの妹・すみちゃんの暮らしぶりは「島のひとり暮らし」で述べた。

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