文字を持たなかった昭和334 梅干し(6)赤紫蘇漬け
昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。
このところは保存食品として手作りしていた梅干しを取り上げており、庭の梅の木から落ととした梅の実を下漬けしている間に、赤紫蘇を用意するところまで書いた。
塩で揉んであく抜きし、水分を絞った赤紫蘇は濃い紫色だ。そこへ、下漬けした梅から出た「梅酢」をお玉で掬って加える。ミヨ子はいつも目分量で、紫蘇が浸るくらいの梅酢を加えていた。
赤紫蘇に注いだ梅酢は鮮やかな赤色に変わる。紫蘇の色素が溶けだす以外に、アルカリと酸の反応も発生するのだと思うが、ミヨ子も姑のハル(祖母)も「そうなる」ことは知っていても、「なぜそうなるのか」までは説明できなかったし掘り下げて知ろうともしなかった。いまのようにインターネットでいろいろな情報を入手することはもちろん、百科事典のような知識を深めるための本なども、身の回りにはなかった。ただ、伝統の継承と経験値で生活を切り盛りし、そこに自分の工夫を加えられれば上々だった。
そんな母親や祖母のすることを見ながら育った二三四(わたし)は、うすい黄色だった梅酢が鮮やかな赤に変わる瞬間を、驚きと感動とともに見ていた。毎年、何回見ても、その瞬間は心が躍った。ただ、酸っぱい匂いで口の中にたくさん唾が湧くのには困った。
塩で揉んでくちゃくちゃになっていた紫蘇の葉をほぐし、梅酢が足りなければ足す。そうやってできた赤い梅酢は、甕に下漬けした梅の上から注がれた。そして紫蘇の葉が上に被せられた。
梅の実を漬けた甕は落し蓋のような木の蓋を乗せ、あらためて重石を置く。赤い漬け汁は蓋を覆うくらいに上がってきていた。
紫蘇が加わっていっそう梅干しに近づいた匂いをあたり中に漂わせている甕は、新聞紙を掛けられて台所の隅の暗がりに置かれる。ここで、漬かり具合やカビが生えていないかをミヨ子にときどきチェックされながら、甕はおとなしく梅の漬け込みを続けるのだった。
《主な参考》
自家製 梅干しの作り方 | やまむファーム (ymmfarm.com)
