文字を持たなかった明治―吉太郎102 孫のいる生活
(「101 初孫」より続く)
明治13(1880)年鹿児島の農村に、6人きょうだいの五男として生まれた吉太郎(祖父)の物語である。
昭和35(1960)年2月吉太郎の初孫として男児(兄)が生まれ、和明と名付けられた。将来の跡継ぎができたのに安堵し喜びもしたが、孫が生まれても吉太郎自身の生活に大きな変化はなかった。再婚で晩婚の吉太郎は、息子の二夫(つぎお。父)が生まれたときもう40代後半だったし、初孫が生まれたのは80歳になる直前だった。当時の感覚なら曾孫と言ってもおかしくない年齢だ。
吉太郎は、長年の労働から腰が曲がり、顔には皺が刻まれ、老人らしい相貌を備えていた。しかし体はまだまだ動いた。働き盛りの二夫が、新しく農機具を投入して農作業の中心を担っていたからその補助をするくらいではあったが、毎日田畑に出て、昔ながらのやりかたで農作業を続けた。田畑の隅のほうの作業や畦の草刈りなど、農機具でもどうにもならない、むしろ農機具を入れたがゆえに手を回さないといけない作業が、いくつもあった。
とは言っても田畑に出る時間も以前ほど長くはなかった。逆に畦で休む時間は長くなりつつあった。そしてそれを家族の誰も咎めたりしなかった。「じいさんは十分働いてきたのだから」。いまふうに言えば「マイペースで」農作業をしてくれればいい、とみんなが思っていた。
吉太郎が孫をとりたてて可愛がることはなかった。抱いてあやしたりは嫁のミヨ子(母)がすることだ。そもそも赤ん坊の世話と言えば、嫁というか母親、もっと言えば女のすること、というのが「常識」でもあった。初めて子育てするミヨ子は大変そうだったが(ミヨ子の育児については「文字を持たなかった昭和 五十八 初めての育児」で述べた)
ともかく、子育てに男が手を出すなど考えられもしなかった。時代と言えば時代であり、半ば江戸の意識を引きずって育った吉太郎はよけいに封建的でもあった。二夫が和明を抱き上げて目を細めることもあったが、吉太郎には不思議な光景に思えた。
赤ん坊がいると泣いたりおむつを濡らしたり、ときどき具合が悪くなったりと、生活のペースが変わる。吉太郎はそれを面倒だと感じもしたが、自分には直接の影響はないし、家族が増えるのはにぎやかになってよいと思ってもいた。(「二人目の孫」へ続く)
