文字を持たなかった昭和393 介護(12) 姑⑥粗相、続き
昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。
最近はミヨ子が嫁として仕え最期を看取った舅と姑の介護の様子を、「介護」というタイトルで書き始めた。 昭和40~50年代のできごとである。介護という概念すらなかった当時の状況(①、②)に始まり、舅・吉太郎(祖父)のお世話(①、②)に続いて、姑・ハル(祖母)について書いている。 ぼんやりすることが増えたり、、一人であてもなく出かける(ように見えるが、本人にはちゃんと意図がある)「徘徊」の様子など。
前項で小用の際の粗相に触れたが、今回はその続きである。
母屋に「内便所」を作ったあとも外に残された小用のための「壺」で用を足すことが多かったハルだが、間に合わなくなることが増えたため、
「ばあちゃん、おしっこも内便所を使って」
という話になった。
足腰が丈夫だったハルもこの頃には、大正時代に建てた昔風の家屋の上がり框の高さにはさすがに難儀しつつあったから、内便所を使うようになった。
しかしそのうち、家の中でお手洗いまで移動するのも「間に合わない」ことが増えてきた。
前項で述べたように、和服を日常着にしていた明治の女性たちはパンツを履いていない。つまり、ちょっとの粗相でもそのまま漏れて畳や床を濡らしてしまうのだ。ハルが粗相するとミヨ子は雑巾を持って拭いて回るのだが、その頻度も徐々に増えて行った。
ミヨ子たちが農作業などでいない日中に粗相していた場合は、もちろん帰ってから掃除した。二三四(わたし)が先に帰ったときは二三四が拭いたし、テスト前などで部活がなく家にいるときに粗相されたら、気づいた時点ですぐ拭いた。できるだけ早く拭かないと、匂いがなかなか取れないからだ。
ミヨ子は
「お年寄りの匂いは赤ちゃんと違うねぇ」
とこぼしてはいたが、当初は掃除すればまあまあ間に合うレベルではあった。
