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文字を持たなかった昭和 終末期39 3月19日② 庭の水仙、そして医療費

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況について、「3月19日①」にそのまま続ける。

 ふるさとの2か所のお墓参りを終えたわたしは実家跡に立ち寄った。ミヨ子さんが長男のカズアキさん(兄)家族と同居を始め空き家になってから家屋を撤去し、その後カズアキさんが趣味の果樹園や家庭菜園をここで営んでいる。畑の位置は以前とほぼ同じだが全体の様子はだいぶ変わった。それでも、ミヨ子さんはカズアキさんがここに連れて来てくれるのを楽しみにしていた。それも足腰が弱って外出が難しくなってからほとんどなくなったのだが。

 最後にミヨ子さんがここに来たのは、昨秋の帰省時ツレに車を出してもらい、施設に入っていたミヨ子さんを半日外出させたときだ。あれから4カ月半ぐらい。ミヨ子さんは起き上がるどころろか、物も言えなくなった。人の終末期の変化の激しさは、無情だ。

 ミヨ子さんが住んでいた頃、野菜類はもちろん庭のあちこちに花があった。いまは木に咲く花が季節を告げるのみで、梅もとうに散っていた。ただ水仙の花だけは2か所ほどに残りまだ花を咲かせていた。ミヨ子さんの夫・二夫さん(つぎお。父)が亡くなった2011年の2月上旬、梅とともに咲いていた花だ。

 その一輪と、地べたに咲いている紫がかったピンクの草花――たぶんホトケノザだと思う――を少し摘んだ。できればミヨ子さんに見せてあげたい。わたしはティッシュを濡らして茎を包み、手持ちのビニール袋にできるだけふんわり入れて、デイパックの上のほうに収めてから駅のほうへ歩き出した。

 そして今回4回目の面会。

 で触れた通り、この日は少し遅めの時間にカズアキさんと待ち合わせていた。病院最寄りの駅で拾ってもらい面会へ赴く。

 面会の前、カズアキさんが受付で先月分の医療費を払った。前々日だったか、お嫁さん(義姉)がわたしにも明細を見せてくれた分だ。たしか57,000円ちょっとだったと思う。その時お嫁さんは
「この金額なら(お義母さんの)年金で払えるし、安くて助かる。施設にいた頃は、施設使用料以外に個人使用の物品、それに病院に行けば医療費が別にかかったから」
と説明した。

 施設使用料は年金を少し上回る程度だったが、なんだかんだで総額で月11万円くらいかかっていたはずだ。入所を決めるときわたしはけっこう費用のことを心配し、一時的な「応援」もしたが、年金をオーバーする分は当面はミヨ子さんの貯金から出す、という方向で入所に踏み切った経緯がある。その時点での貯金がいくらあったかは、わたしは知らない。

 たしかに、入院といってもじっと寝ているだけで、投薬も治療らしい治療はおろか、投薬も食事すらも提供されてもいないのだから、払う側からすれば負担はそう多くないのだろう。が、後期高齢者の医療費負担は基本1割だ。ミヨ子さんのために先月50万円ほどが「国庫から」支出されたことになる。ミヨ子さんのようなお年寄りだけでも日本中にどのくらいいて、そのために総額どのくらいの医療費が支出されているかと考えると、背筋が寒くなるのはわたしだけではないだろう。

 では、だからと言って、病院での療養――と言う名の延命措置――をやめていいのか。それを望まない人や家族もまた多いことだろう。そもそも議論しにくいテーマだ。わたし自身は、そんな形での終末期は望まないが。(「3月19日③」へ続く)

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