文字を持たなかった昭和 終末期40 3月19日③ 今回4回目の面会
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況について、「3月19日②」にそのまま続ける。
さてミヨ子さんとの面会だ。毎回のことながら面会簿に記帳する。長男のカズアキさん(兄)と一緒のときはカズアキさんが書く。看護師さんからは全員の名前を書くよう言われているが、カズアキさんは自分の名前と続柄しか書かない。その横に続けてわたしの名前と続柄も書いてよ、同じお母さんの子供、兄妹なんだから、と心で呟く。
鹿児島に生れてこんな思いをしたことは数知れない。他の女性も多かれ少なかれそうだろう。ミヨ子さんたち世代やさらに前の鹿児島の――あるいは他の地方の多くの――女性たちは、もっとそうだっただろう。いや、それが当然と思えばむしろ楽に生きられるのかもしれず、大過なく人生を終えたのかもしれない。
病室に入り、看護師さんが状態を説明してくれる。説明のタイミングやしかたは看護師さんによって違うことに気づく。
・前日、尿の量が37ccぐらいに激減し、ちょっと危ない感じだった。
・しかしその他の数値は安定しており、今日は尿もわりと出ている。
・この状態がしばらく続くかな、という印象。もちろん断定はできないが。
ベッドサイドに下げられた尿の袋には100ccくらいたまっている。ぱっと見には血尿に見えるほど色が濃いのはこれまでと同じだ。見る度にぎょっとし、いまだに慣れない。
この日のミヨ子さんは顔を左側に向けて寝ていた。わたしはそちら側から話しかけてみたが、全くと言っていいほど反応がない。目も開けてくれない。カズアキさんは
「寝てるんだろう。そんなに呼びかけなくても」
と冷淡(?)だ。それでいて数値的なことは気にしていて、16日の面会の時同様、モニター画面を撮影後はスマホでメモを作っている風だった。わたしはまた、「そんなことより、もっとお話ししてあげてよ」と心でつぶやく。
この日わたしは、これまでのような左手ではなく、右手を握ってあげた。いつも左手だったので気づかななったのかもしれないが、右手はむくんでいる。そして握り始めは軽く握り返してくれたのに、それもじきになくなった。あるいはぐっすり眠っていたのかもしれないが。
今回最初に会った3月16日に撮った写真を見直してみると、もともと右手にはむくみがあったようだ。それ以外は「骨と皮」同様なので、むくみは目立つ。同じく16日当初から気になっている左脚のむくみも見てみたが、こちらは軽くなっている気がする。(「3月19日④」へ続く)
