文字を持たなかった昭和 終末期41 3月19日④ お土産、そして匂い
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況について、「3月19日③」にそのまま続ける。
この日行った実家跡で水仙などを摘んだことは前々項②で述べた。ミヨ子さんに何か「お土産」を届けたかったのだ。が、面会に同行したカズアキさん(兄)がいるところで堂々と「お土産だよ」と出すのは気恥ずかしく、カズアキさんがスマホをいじっている隙にそっと取り出した。
ミヨ子さんはずっと寝ていて、花を見せてあげることはかなわなかった。水仙は香りがいいのでミヨ子さんが気づいてくれることを少し期待していたのだが、そのうちスマホから目を上げたカズアキさんがわたしの行動に気づき、「酸素マスクをしてるんだから、匂いなんかわかるはずないだろう」と冷静な(?)ひと言。
それでもわたしは酸素マスクに水仙とホトケノザらしき花を近づけてやり、「うちの庭の花だよ」と耳元で教えてあげた。その時だけ、ミヨ子さんの目が少し開いた。そして帰り際ミヨ子さんの顔を撫でて「また来るからね」と告げたときは、口をパクパクと開けてくれた。「ありがとう」と言ってくれたのだ――と思いたい。
ところでこの日の面会で気になったのは匂いだ。前項③で述べたとおり、わたしはこの日初めてミヨ子さんの右手を握ったわけだが、手にはなんとも言えない匂いが移った。これまでの面会でも手を握ったり脚を擦ったりしてきたのに、こんなことは初めてだった。
病室に入るときはもちろん、出たあとも毎回消毒液を使う。しかしこの日は――たまらずに、と言っていいだろう――病院のトイレで手を洗わせてもらった。「その時」が近づくと人の体は独特の匂いを発するらしい。今日の匂いが「それ」でないことを祈る。
その夜、日中のあれこれをメッセージとして留守宅のツレに送り、匂いのことにも触れたところ「お風呂に入ってないだろうし、いろんな匂いがするんじゃないの」と返してきた。
言われてみれば、自宅で寝たきりの祖父母をお世話していた頃の匂いのような気もした。そのあと、ミヨ子さんは医療的な基準で体を拭いてもらってはいても、入院してから一度も――つまり1カ月半以上も――お風呂に入ってないであろうことに気づき、切なくなるのだった。(次は「3月20日」)
