文字を持たなかった昭和343 梅の実のある風景(4)梅干しの「仁」

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 最近では、保存食品として毎年手作りしていた梅干しをテーマに書いてきた(「梅干し(1)梅の木(11)保存、おまけ」)。ついでに梅の実にまつわるエピソードをしばらく綴ることにして、日の丸弁当砂糖梅梅干しの食べ方について述べた。

 今回は梅干しの「仁(じん)」について。

 梅干しは果肉だけ食べて硬い殻に覆われた種は捨てるのが普通だ。が、その種の中身、「仁」と呼ばれる部分――天神様という言い方もあるようだ――を食べられると知っている人、そして実際に食べたことのある人はどのくらいいるだろうか。

 仁というとあまり馴染みがないが、例えばアーモンド。わたしたちが食べるアーモンドは、硬い殻を割ったあとの中身だが、あれも仁だと言えば、梅の仁が食べられることも納得してもらえそうだ。

 梅干しを食べたら仁も食べる。ミヨ子の家族がいつもそうしていたわけではないが、気が向けば、くらいの頻度で仁を食べていた。食べるのは、姑のハル(祖母)と夫の二夫(つぎお。父)が多かった。仁を取り出すのが面倒だったのか、そもそも好きではなかったのか、ミヨ子が食べている姿はあまり記憶にない。

 梅干しの種は硬い。その殻は石ででも潰さないと割れない。ハルや二夫は、たいてい庭の石垣の比較的きれいなところに食べ終わった梅干しの種を置き、手頃な石を持って叩いて割った。梅干しとして漬けている間に殻の水分が抜けるのか漬け液の酸との関係か、それほど難儀せずとも、軽くぶつけるだけで割れるのだ。二三四(わたし)も小学校に上がるくらいになると、石で種を割って仁を取り出せるようになった。

 ただし要領はある。あまり強く叩くと殻ごと仁が潰れてしまう。平らなところでは種が転がるし、土台の石の凹みが深いと石どうしがぶつかるだけで種まで割れない。石垣の「あの場所」で、「このぐらいの石」を持って――というノウハウも、家族でなんとなく共有されていた。

 それでも殻の硬さには個体差があるので、いつもどおりにセットして力を加減しても、うまく割れないこともあった。小ぶりの種のほうが割れにくかったと思う。逆に、大ぶりの種で、殻の筋目というか割れ目がはっきり見えているものは割れやすかった。

 割れやすそうな種だと見れば、「歯で割る」という究極の技に挑むこともあった。歯が丈夫なこと、顎の力が強いことが前提で、上下の奥歯に挟んで割る。二夫が挑戦するときはだいたい成功していた。二三四も挑戦して、成功したこともあるが、歯が丈夫なほうではなかったこともあり、ミヨ子から「やめておきなさい」とたしなめられた。そもそも女の子が梅干しの種を歯で割る様子は、おしとやかとは言えない。

 そうやって取り出した仁は、直径1センチほどでハート形に近く、茶色い薄皮にくるまれている。皮を指で摘まむと中から二つに合わさった真っ白い実が現われる。口に含めば漢方薬のような香りが鼻腔に抜ける。味は当然しょっぱいが、梅干しの果肉ほどではない。

 苦労して取り出すほどの甲斐がある量と味とは言い難いし、この大きさでは栄養の足しにはならなそうだが、ときどき食べてみたくなる魅力はあった。少なくとも、食べられるものは余さず食べるというお手本にはなっていた。

いいなと思ったら応援しよう!