文字を持たなかった昭和 終末期35 3月17日② 脚を擦る
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況について、「3月17日①」にそのまま続ける。
面会のため病院に赴いたわたしは、ミヨ子さん(母)の耳元の口を近づけて「聞こえる? 二三四だよ。痛いところはない?」と語りかけた。声は聞こえるようで目を薄く開けるものの、すぐ閉じてしまう。
手を取る。握り返してくれるが、前日より弱いのは力がなくなってきているからか、眠いのか。思いつくことを耳元でぽつぽつ話す。本当はこれまでの人生でミヨ子さんに心配をかけたこと、傷つけたであろうことを思いつく限り話して詫びるつもりでいた。しかし、昨日よりまた少し縮んで、酸素マスクまで着けたミヨ子さんを前に、そんなことを細々述べても仕方ないように思える。
むくみ対策として点滴を減らしたのなら、前日パンパンにむくんでいた左脚も少し改善されたのだろうか。握っていた手を離し布団の腰の辺りを持ち上げてみた。脚がむくまないよう脚枕があてがってあり少しほっとする。しかし「こんな所に」と思うほど腰も脚も胸に近いところにある。つまり体全体が縮んでいるのだ。
少しでも血行がよくなりますようにと、脚を擦る。擦られていることが感じられるのだろうか、ミヨ子さんの目と顎が動いた。
「いけなあんべな? よかあんべじゃっけな?」(どんな塩梅? いい塩梅かしらね?)
ミヨ子さんは答えないがきっと気持ちいいのだろう。娘が直に擦ってくれているとわかっているのだ――と思いたい。こんなことぐらいしかできなくてごめんと心で詫びる。
前の日に面会して「安定しているなら一旦引き上げようか」と考えたばかりだが、酸素マスクを着けた姿を見ると「その時」が近いような気もしてくる。点滴が減らされたので衰えは加速するだろう。
面会を終えて終了時間を記帳し看護師さんに声をかける。「娘さん(わたし)はいつまでこちらにいらっしゃるんですか?」と訊かれた。「万一」も見込んで帰ってきているので言葉につまる。「決めてないんですが――、明日も来ていいでしょうか」と尋ね、予定時間を告げる。面会はあくまで予約制なのだった。
病院を出てまた歩き長男のカズアキさん(兄)の家に寄り、お嫁さん(義姉)にミヨ子さんの様子を告げがてらおしゃべりした。お嫁さんは10年近い同居期間を振り返って言った。
「お母さんはここに連れて来られて、前の家(もう取り壊してしまったわたしの実家)で一人暮らしするより良かったんじゃない? 私もいろいろやってあげたし、自分では十分やったと思ってる」
わたしは「一人暮らししてた頃より元気になったしね」と応じた。それは事実で、よく食べるようになり、ほんとうに元気になった。いろいろな意味で十分よくしてもらったと思う。とてもありがたいし、感謝している。
でもミヨ子さんは家族以外知り合いが誰もいない、散歩しても昼間はほとんど人が通らない、通ったとしても車だけの見知らぬ住宅地に連れて来られて、家の中からぼんやりと外を眺めるだけの暮らしで幸せだったのか、という気持ちが拭えない。(次は「3月18日」)
