文字を持たなかった昭和 終末期36 3月18日① 「ごはんだよ」
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況である。
施設(グループホーム)に入所して半年ほど経った昨(2025)年末、ミヨ子さんは体調を崩し入院生活に入った。今年の2月早々容態が急変したが幸い取り戻した。以降の経緯は「その後の容態、2」に記したとおりで、ミヨ子さんは点滴だけで低空飛行なりに安定していた。
が3月15日、施設入所まで同居していた長男のカズアキさん(兄)から「あと一両日かも」という連絡があり、わたしは再び鹿児島へ飛んだ。面会したミヨ子さんの様子は辛くて見ていられない(3月16日①、②、③)。そして3月17日には酸素マスクの着用が始まり、フェイズが変わったことを実感する(3月17日①、②)。
3月18日(火) 今回3回目の面会へと向かう。
前日「酸素マスク着用が始まりフェイズが変わった」という話をしたせいか、この日はお嫁さん(義姉)も会いにいくと言い出した。お嫁さんは「衰弱するのを見るのは辛いし、少し前に自分なりのお別れを耳元でしたから、本当に危ないという時に行けばいいかな」と言っていたのだが。
この日は天気が崩れて強い風に雨が混じり、面会前には雹まで降った。なごり雪というが、ミヨ子さんもこの世界への名残惜しさがあるのだろうか、とふと思う。
病院に着いた。もうだいぶ様子がわかってきた2階の病棟へ上がる。面会簿に2人分の記帳をし、病室へ入った。
ミヨ子さんは昨日とあまり変わらない。モニター画面の数値も昨日と同じようだ。もちろん、点滴でエネルギーを供給され、酸素マスクから酸素を補充されているから心臓の機能が維持できているわけで、機械の助けで生かされている状態がより人工的になったとも言える。
点滴だけになって1か月半以上。お腹が空いたとは感じないのか。「もう苦痛などは感じない」という看護師さんの説明が正しいのなら、そんな状態で生かしておくのは人道的なのか、とやっぱり思ってしまう。
モニターの数値は前日とあまり変わらない。ミヨ子さんに語りかけても目はほとんど動かない。わたしは、わたしの方を見てほしいのだが、首はもちろん目を動かす力もないのかもしれない。
ふいにお嫁さんが「お母さん、ごはんだよ。ごはん食べる?」と語りかけた。同居中の日常の会話を再現して見せたのだ。
「寝ててもこう言えば起きてきてたもんね」
ミヨ子さんは酸素マスクの中の口をゆっくりだがパクパクと動かした。返事をしているのか、何か食べたいと言いたいのか。
お嫁さんは釣りが趣味だ。「釣ってきた魚を、骨だけ残してきれいに食べてくれて、ありがたかった」としみじみ言った。(「3月18日②」へ続く)
