文字を持たなかった昭和 終末期28 その後の容態、2

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変、わたしは「万一」も考えて鹿児島へ向かったが幸い容態は安定し、低空飛行を続けながら最後の到達点に向けてゆっくりと高度を下げている状態だ。その間にミヨ子さんは驚くべき復活を見せもし(3月6日)、3月10日には病床で誕生日を迎えた。

 容態の経過については「その後の容態」で一度まとめたが、少し時間が経ったのでもう一度整理しておきたい。

2月6日(木) 二三四(わたし)帰省、1回目の面会(面会①

2月7日(金) ミヨ子さんの持ち物の整理(持ち物整理(5)お腹を痛めた証など)

2月11日(火) ミヨ子さんの末妹・すみちゃんが屋久島からお見舞いに来る。姉妹二人だけで面会時間を過ごした。(末妹すみちゃん上陸

2月12日(水) 二三四2回目の面会、翌日二三四はいったん自宅へ戻る
 この日ミヨ子さんはあまり反応せず。血圧等は安定、低体温対策で使っている電気毛布の温度はMAXに設定しているとのこと。(2回目の面会

2月14日(金) 施設入所前まで同居していた息子のカズアキさん(兄)が面会
 ほとんど反応なし。電気毛布の温度はやや高め、各種数値は低い値で安定。点滴1000ccに対して尿量は900cc。

2月21日(金) お嫁さん(義姉)が面会
 名前を名乗ると誰かわかった様子で少し反応あり。看護師さんによれば問いかけに応じてくれる時もあるとのこと。

2月28日(金) カズアキさんが面会
 名前を名乗ると頷いて、看護師さんをびっくりさせる。呼吸や血圧に乱れがあり、尿量も400~500ccに減少。白眼の黄疸、皮膚の乾燥などが見られるが、本人に苦痛はなく穏やかに衰弱してきている、あと(どのくらいもつか)は生命力次第、との説明を受ける。

3月6日(木) お嫁さんと二女(姪)が面会
 目をぱっちり開け、ひとつひとつの会話に反応する。入れ歯を外しているので言葉は明瞭でないが、明らかに「会話」ができていて驚かされる。このまま流動食、固形食へ戻れるのではないかとすら思わせる。体の状態としては、2月28日と同様とのこと。

3月10日((月) ミヨ子さんの誕生日、カズアキさんが面会
 3月6日ほどの明瞭な反応はないが、誕生日であることはわかっている様子。体調は「横ばい」、尿の出が悪くむくみが生じているとのこと。

 ――とこんな具合だ。点滴だけの対応になってから、もう1カ月半。よく持ちこたえていると思う。気になるのは尿量の減少とむくみだ。老廃物が尿として排出できなくなると、臓器へのダメージが一気に高まるだろう。そのタイミングがいつなのか。

 もちろん神様にしかわからない。(次は「ひじんごろし(餓死)」)


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