文字を持たなかった昭和 終末期26 常態か、たまたまか
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変、わたしは「万一」も考えて鹿児島へ向かったが幸い容態は安定した。
ミヨ子さん自身とそれを取り巻く家族の状況は「その後の容態」(2025/3/1掲載)に記したとおりで、ミヨ子さんは低空飛行を続けながら最後の到達点に向けてゆっくりと高度を下げている状態だろうか。一旦自宅に戻ったわたしは奇妙な「待機」を続け、その間にミヨ子さんは3月10日、病床で誕生日を迎えた。途中驚くべき復活を見せたこともある(3月6日)。
その翌週の誕生日当日。施設入所まで同居していた長男のカズアキさん(兄)が面会に行った。たまたま昼間電話がかかってきて、仕事帰りに面会に行くと告げたあと「今日母ちゃんの誕生日だしな」と言った。わたしが「こういう状態だから、前もって(お祝いなどを)用意するとかしてないけど…」と言うと「今の状態じゃ誕生日だと言ってもわからないだろう」と気遣ってくれた。わたしは「二三四からもおめでとう、と言っておいて」と伝えた。
夜、わたしのスマホにカズアキさんからメッセージと動画が届いた。メッセージには「母ちゃんは誕生日をわかったようでした。帰りにはバイバイももしようとしてました」そして「看護師さんの話では状態は横ばい、尿の出が悪く少しむくみがあるとのことでした」とあった。
続く動画の静止画面には、ベッドに仰向けになったミヨ子さんの顔があった。たしかに全体にむくみが感じられる。「驚くべき復活」を見せた3月6日とは様変わりだ。
それでも、カズアキさんが「誕生日おめでとう」と語り掛けると一度「ん?」と聞き返した。カズアキさんが再び「今日は誕生日だね、おめでとう」と言うと「あー」と答えたあと、明らかになにか語っている。「95歳、長生きだね」と付け加えると再び「ん?」と問い返し、カズアキさんが再び「長生きだね」と言うと「あー」と答えた。
「手は動くの?」という問いかけには、胸の前に置いた左手を少し動かした。別れ際には「バイバイってできる?」と聞かれて、左手を少し振って見せた。
いずれも、面会に来たカズアキさんがの発話をきちんと聞き取り、意思をもって応えようとしているように見えた。病院が「横ばい」という状態のとおり、意識が低下するなどという状態ではないのかもしれない。
ただ、それがこのところのミヨ子さんの「常態」なのか、この日はたまたまわりとはっきり反応したのかはわからない。何回か書いているとおり、たんなるブドウ糖液の投与だけで体を削っている状態で、意識がどこまで維持できるのか。「本人は苦しくはない状態」だと看護師さんは説明したらしいが、それはどんな根拠なのですか、本人の気分、気持ちがわかるんですか、とわたしはつい思ってしまう。
苦しみや痛みはなくても――それは感覚が鈍磨しているということでもあろう――何も口にできずただ寝かされた状態で、人は耐えられるのだろうか。もう思考も働かないのならば――脳を動かすには大量のエネルギーが要る――、あとは臓器が衰弱するのを待つということだろうか。脳を働かせるほどのエネルギーまでは与えず、体の最小限の機能だけをいたずらに維持させているだけ、とは言えないのだろうか。
そもそもいまの状態が、ミヨ子さんの望んだ終末期なのだろうか。(次は「人間の浅知恵」)
