文字を持たなかった昭和 終末期20 後ろ髪を引かれつつ

 鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変、状態は安定したものの点滴だけで命をつないでいる。(ミヨ子さんの「その後の容態」はこちら

 容態急変を受けわたしはお別れも覚悟して鹿児島へ向かった。面会の合間にはミヨ子さんの持ち物の整理や、長男のカズアキさんと兄妹での外出するなどして過ごしたが、一旦自宅へ引き上げることにして2回目の面会に赴いた。

 その日、1回目の面会のような明確な反応に遭えないままわたしは病院を後にした。面会前小降りだった雨は車に乗る前急に土砂降りになり、乗車までにかなり濡れた。涙雨という言葉が胸に浮かんだ。

 翌日わたしは鹿児島空港に向かった。「もしも」のために用意してあった服や持ち物は、長男のカズアキさん(兄)宅に置いてきた。そう遠くないタイミングでまた戻るだろうから、と。

 空港はどこも、いつも慌ただしく賑やかだ。旅行のグループ、帰省したらしい人とその何倍もの出迎えや見送り、饒舌に語り合うビジネスマンは取引がうまくいったのだろう。

 その中で、まさに後ろ髪を引かれる思いで搭乗口へ向かう。移動の途中でも、搭乗してからも、「急に容態が変わった」という連絡があるのではとスマホの着信音に耳を聳てていたが、ついにそれは鳴ることなく飛行機の扉は閉まった。以下は離陸後の機内でのメモから。

 帰京の機上にて。
 「次」はもうない(母はもういない)のかもしれない、と思ったら急に泣けてきた。逝かないで、お母さん。
 離陸、桜島が見える。目を閉じると涙が止まらなくなりそうだ。
 朝昼兼用ごはんに、空港で珍しくうどんを食べた。お母さんと食べたかった。つい3カ月前、ゆっくりとだけど、あんなにおいしそうに、たくさん食べてたのに。昨日は、うっすら舌に載せたあんこすら、もう食べてくれなかった――。
 そして。
 波立つ東京湾、霞むビル群が見える。あぁ……帰ってきてしまった。

次は「奇妙な待機」)

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