文字を持たなかった昭和 終末期22 病床での誕生日
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変し、わたしは「万一」も考えて鹿児島へ向かったが幸い容態は安定した。
ミヨ子さんの容態とそれを取り巻く家族の状況は「その後の容態」(2025/3/1掲載)に簡単に記したとおりで、ミヨ子さんは低空飛行を続けながら最後の到達点に向けてゆっくりと高度を下げている状態だろうか。そして、一旦自宅に戻ったわたしは奇妙な「待機」を続けている。
そんな中、今日3月10日、ミヨ子さんは誕生日を迎えた。冒頭に書いた昭和5年生れというのは戸籍上で、ほんとうは1年早いことはnoteでミヨ子さんの半生について書き始めた頃「ひと休み(戦前の出生届)」で述べて以降、折りおりに触れてきた。簡単に言えば、生まれた年に出生届を出しておらず1年遅れで届け出た、ということらしい。
ミヨ子さんが施設に入る前同居していた長男のカズアキさん(兄)夫婦とミヨ子さんの年齢について話す機会に、「ほんとうは昭和4年生れだけどね」と言うと、いつも「また『ほんとうは』?」とちょっと嫌な顔をされた。戸籍が昭和5年なんだからそれが正確な年齢でしょう、90年ほども生きてきて、いまさらほんとうも何もないでしょうに、と言いたいのかもしれない。
でもミヨ子さんの両親は明治後半の生れだ。当時の農村の子供だったら、小学校に行かない(経済的に行けない)か、行ったとしてもちゃんと卒業していない(できない)ケースは多かっただろう。役所の届出も自分ではできず、誰かに、何かのついでにお願いしただろう。そもそも役場まで遠かった。
さらに、数えで年を数える習慣が出生の正確な把握を妨げたはずだ。というか、生まれたときに1歳、次の正月が来たときに誰もがひとつずつ年をとる、というのが戦後しばらく経つまでの日本人の「年の取り方」だったのだ。一人ひとりの誕生日を祝う習慣は戦後欧米の習慣に倣ったと言っていい。
ミヨ子さん自身、誕生日を祝われるとき、あるいは年齢の話題に及んだとき、昔から「ほんとうのところは蛇(巳)年だからね」と本人が強いこだわりを見せてきた。わたしも、表向きはともかくミヨ子さんは「戸籍年齢プラス1歳」だとずっと思ってきたし、誕生日もそのつもりで祝ってきた。
だから巳年の今年ミヨ子さんは「年女」である。そして今日、96歳になった。
2月初めに容態が悪化したときはもちろんそのあとも、ミヨ子さんが誕生日を迎えられると思っていなかった。入院先にカードを送るわけにもいかない(そもそも病院は手紙の取り次ぎはやってくれないと聞いている)。「いつ、どうなるか」わからない状況で、カズアキさんたちに前もってお祝いを預けるのも憚れた。
そんな事情で今年のお誕生日は遠くからお祝いする。ミヨ子さんが好きな巻き寿司と、大好きな甘いものを用意した。もう、好物はもちろん何も口にできないのだと思うと、切なく悲しい。代わりに食べてあげるね。心だけここまで来てね、いっしょに食べよう、と呼びかける。
お母さん、お誕生日おめでとう。心からお祝いします。自分の命を懸けてわたし(たち)を産んでくれて、ほんとうにありがとう。この世界にいられるだけいてね。(次は「病床での誕生日、余談」)
