文字を持たなかった昭和 終末期23 病床での誕生日、余談
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変し、わたしは「万一」も考えて鹿児島へ向かったが幸い容態は安定した。
ミヨ子さんの容態とそれを取り巻く家族の状況は「その後の容態」(2025/3/1掲載)に記したとおりで、ミヨ子さんは低空飛行を続けながら最後の到達点に向けてゆっくりと高度を下げている状態だろうか。そして、一旦自宅に戻ったわたしは奇妙な「待機」を続けているが、そんな折りミヨ子さんは、正確には96歳になる誕生日を迎え、わたしは遠くからお祝いしたた。
お祝いのしかたについては、じつは迷ったし悩んだ。これまでなら同居先の長男のカズアキさん(兄)宅へ前もってプレゼントやカードを送り、当日は電話で直接お祝いを伝えることができた。お嫁さん(義姉)もミヨ子さんの好物を晩ご飯の献立に加えてくれてきた。
しかし今年は、ミヨ子さん自身が誕生日を迎えられるか予測できなかった。迎えられたとしても病床である。誰かに託してお祝いを伝えるのも難しい。だから前項で述べたとおり、離れたところから心の中でお祝いを伝えたのだったが。
それでもホールタイプのケーキを用意したくて、先週は近所のケーキ屋さんにホールケーキの扱いついて聞いて回った。予約はどこも数日から1週間前だと言う。受取当日に「その時」が来てしまう可能性を考えると予約はできかねた。唯一、とても小さいサイズのケーキなら予約なしで扱っているお店があったが、売り切れ御免らしい。
それでわたしは、昨日そのお店の開店直後に足を運んだのだった。ろうそくも、90数本立てるわけにいかないので、数字タイプのものを別に買った。こんなあれこれを、ミヨ子さんに伝えようもない。しかし、きっとわかってくれていると信じている。
買ったばかりのケーキの箱を下げて帰りながら、わたしはふと北朝鮮による拉致被害者のご家族のことを考えていた。横田めぐみさんや有本恵子さんなどのご家族が、拉致されたきりの家族に何十年も会えないまま、その誕生日にはケーキを用意して無事を願い、帰国と再会を祈る様子が毎年報道されてきた。
恵子さんの父親の明弘さんは、奥さんが亡くなったあとも一人でお祝いを続けていて、その姿が恵子さんの誕生日の1月に今年も報道されたばかりだったが、2月、明弘さんは再会の願いがかなわないまま他界された。いわゆる「親世代」はめぐみさんの母親、早紀江(さきえ)さんお一人になってしまった。
いまどんな生活をしているのかわからない肉親の誕生日を過ごす家族の気持ちはいかばかりか。「本人がいないのにお祝いなんて無駄」と思う人もいるかもしれない。でもそうしないといられない強い想いを、わたしはミヨ子さんの誕生日に、ほんの少しだがわかった気がした。
※ミヨ子さんに用意したケーキの年齢「96」の「6」が逆向きになっていることに翌日気がついた!(次は「点滴だけで」)
