文字を持たなかった昭和 終末期24 点滴だけで
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変し、わたしは「万一」も考えて鹿児島へ向かったが幸い容態は安定。
ミヨ子さん自身とそれを取り巻く家族の状況は「その後の容態」(2025/3/1掲載)に記したとおりで、ミヨ子さんは安定という名の「低空飛行」を続けながら、最後の到達点に向かってゆっくりと高度を下げている状態だろうか。一旦自宅に戻ったわたしは「着陸」のタイミングを予想しかねつつ奇妙な「待機」を続け、その間にミヨ子さんは病床で誕生日を迎えた。
そのミヨ子さんの状態について、少し振り返ってみたい。
ミヨ子さんが食べ物や飲み物を口から入れることができなくなったのは1月末ぐらいだと思う。まだ起き上がれたミヨ子さんを息子のカズアキさん(兄)が見舞った1月28日時点では、衰弱しているものの流動食を摂っていた(「最近のミヨ子さん 転院後(3)」。
それから(本項執筆時点で)1カ月以上、ミヨ子さんは点滴だけで命を永らえている。「終末期05 面会後」で述べたように、点滴の主成分はブドウ糖で若干の電解質(カリウム等)が添加されている程度だ。あとは自分の体の蓄えを削りながら心臓を動かして血液を送り、尿を作っている。
ふと興味を持ち、高齢者は点滴だけでどのくらい命を保つことができるのか、インターネットで調べてみた。介護や医療の専門サイトの記事から総合すると、ブドウ糖主体の末梢静脈への注入(一般に「点滴」と言われる方法)の場合「平均で」60日とあった。
もしより長い延命を望む場合は、脚や腕の付け根などの太い静脈(中心静脈)に高栄養の輸液を送る方法もある。ただし皮膚切開してステントを固定せねばならず、管に「繋がれた」状態になる。もっとも常時点滴を受けているミヨ子さんも、「繋がれている」状態に変わりはないだろう。
直近――もう1カ月以上前だ――の面会で見たミヨ子さんの痩せよう、率直に言えばもう骨と皮に近づきつつある身体の状態を思い出すと、つらくてたまらなくなると同時に、あの状態を「生きている」と言っていいのかという疑問が湧くのを抑えきれない。
長男のカズアキさん(兄)たちが面会に行けば、「呼びかければ反応します(するときもあります)」と看護師さんは説明するというが、それは「人」としての反応なのだろうか、とも思う。
「2回目の面会」でで述べたとおり、わたしはその時「死に水を取った」つもりでいる。あれ以上痩せて枯れ果てていくであろうミヨ子さんを目にしたくはないし、ミヨ子さんの心(魂)はすでに抜け去って、自由にあちこちを歩いているのだとも思っている。
極端に言えば、この先の危篤から死亡確認、その後の儀式の一切は、一種の手続き、形式でしかないような気もしている。「そんな情のない」と言われそうだが、何も飲まない、食べられない人に、ただ人工的にブドウ糖液を注入し、心臓を動かし排尿させる行為は、人道的なのだろうか。
もちろん、死生観や人としての終わり方についてはいろいろな感じ方、考え方がある。ただそれらはもっと議論されていいように思う。いまの日本人の「最期」は、あまりに医療的技術に偏っていないだろうか。(次は「驚きの復活」)
