最近のミヨ子さん 転院後(3)

転院後(2)はこちら)
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを、その後明治生まれのミヨ子さんの舅・吉太郎さん(祖父)の物語を綴っている。合間にミヨ子さんの近況などを挟みつつ。

 昨(2024)年6月末に施設(グループホーム)に入所したミヨ子さんは年末近くに体調を崩し、鹿児島市立病院へ緊急搬送された。そのまま年を越し成人の日の連休直後、施設入所まで同居していた息子のカズアキさん(兄)宅近くの病院に転院した。その後の様子を順次述べており、1回目のお見舞いにお嫁さん(義姉)と孫娘(姪)が行ったときの様子は「転院後(1)」、2回目はカズアキさんが行った。今回は(3)である。

 それは鹿児島にも霙が降ったという1月も末の寒い日。いつものようにカズアキさんからわたしのスマホへという形で連絡があり、写真と短い動画、メッセージが届いた。

 写真のミヨ子さんは、ベッドの上で体を起こしこちらを見ていた。病室内でも防寒のためということか、パジャマの襟元には見たことのない青いスカーフを巻いている。入院生活のためにお嫁さん(義姉)が新しく用意してくれたものだろう。

 頬骨が尖り、鼻梁もごつごつしていかにも痩せている。顎に添えた手の方が顔より大きいくらいだ。もっとも、若い頃から――幼い頃から、と言っていいかもしれない――ずっと農作業に勤しんできたミヨ子さんの手は昔から節くれだっていた。老いるにつれ、萎むように体が小さくなり、頭(頭蓋骨というべきか)も顔も小さくなっていくのに、手と足だけは大きさが変わらない。

 そう言えば、昨年下旬まで入所していた施設で、職員の方がミヨ子さんの手を指して
「手が大きいですよね。農業でもされてたんでしょうかね」
と言ったことがある。ミヨ子さんはずっと農家の主婦だった。わたしは、入所者のプロフィールくらい把握しておいてほしいと、少し腹を立てた。

 その節くれだった大きい手にも、肉はあまりついていない。痩せている分大きくなった瞳でこちらをじっと見つめる様子がつらい。

 動画はとても短いものだった。立ち去り際に撮ったのだろう、カズアキさんが「じゃあ、バイバイね」と言い、ミヨ子さんは手を振っている。「バイバイ、ってやってみて」と言い、ミヨ子さんが「バイバイ」と小さな声で「復唱」する。バイバイといっても掌をこちらに向けた形ではなく、曲げた腕は上に上がらず、手のひらを下に向けた状態で上下に小さく振っている。腕や手を持ち上げる力が、ないのかもしれない。

 カズアキさんからのメッセージには
「外は寒いけど病院の中は快適温度です。二三四(わたし)がくれたやわらかい蛇煎餅を食べさせていいか聞いたら、まだ流動食だからダメと言われました。顔色はよかった。話しているうちに寝てしまいます」
とあった。

 蛇煎餅とは、お正月に食べさせてほしいと送ってあったお年賀のお菓子だ。甘い煎餅に干支の焼き印が押してある。ここnoteに何回も書いているように、ミヨ子さんはほんとうは昭和4年生れで今年は年女だから、話題にしてほしいと送ったものだった。その時点で入院していたが、1月も終わりなのに入院が続くとは思っていなかったのだ。

 お煎餅はかなり日持ちするはずだが、3月の誕生日までには食べられるだろうか。わたしは少し悲観的になっては、「いやいや」と気持ちを立て直す。

 話しているうちに寝てしまう、のは、もう何年か前からその傾向があった。最初は驚き、老化のために集中力と体力が続かないのだろうと思っていた。それがより顕著になっているのだろう。

 それにしても、緊急搬送されて一カ月ほどが経つが、まだ流動食なのは意外だった。顔が痩せているわけだ。少しずつでも固形物が食べられるようになり、味を感じられるようになって、食欲が戻ってくることを祈りたい。

 そう。娘なのに祈ることしかできない。(次は転院後(4)


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