最近のミヨ子さん 転院後(1)
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の来し方を中心に庶民の暮らしぶりを、その後明治生まれのミヨ子さんの舅・吉太郎さん(祖父)の物語を綴ってきた。合間にミヨ子さんの近況などを挟んだりして、吉太郎さんの物語は進んでいないが。
昨(2024)年6月末に施設(グループホーム)に入所したミヨ子さんは年末近くに体調を崩し、鹿児島市立病院へ緊急搬送されそのまま年を越した(「最近のミヨ子さん」体調異変、体調異変、その後、脱水症状、退院の先には?)。その後成人の日の連休直後、施設入所まで同居していた息子のカズアキさん(兄)宅近くの病院に転院したところまで述べた(転院①、②)。
転院先でのお見舞いの様子がお嫁さん(義姉)から送られてきたので、立て続けになるがメモ代わりに残しておく。
メッセージには「食事は完食することもあれば残すこともあるそうです」とあり、数本の動画が添えられていた。
始めの動画には病室までのアプローチなど病院内の様子が映されている。次の1本にベッドに横たわるミヨ子さんが映し出された。聞いていたとおり4人部屋らしく、ほかのベッドはカーテンが引かれて様子が見えない。
ミヨ子さんは――痩せていた。去(2024)年の夏に緊急搬送され、点滴だけでしばらく命をつないでいたときよりは「まし」と言えるが、昨秋会いに行った頃とは別人だ。そもそも、動けない。
お見舞いはミヨ子さんにとっての孫娘(姪)もいっしょで、それぞれ「お母さん」「ばあちゃん」と呼びかける。ミヨ子さんは「はい」と返事はできている。孫娘が自分の名前を告げ「久しぶりだね、わかる?」と問いかけたときは、名前を呼び返したようだ。わかっている――のだろうと思いたい。
ミヨ子さんは目を半ば閉じている。目の前の人物やモノが見えているのだろうか。お嫁さんは「眠いのね」と言っていたが、眠いのか、目を開けるのがしんどいのか。高齢の男性が「年をとると目を開けてるのもつらいんだよ」と話すのを聞いたことがある。年齢を重ねるということはそういうことなんだと、半ば驚き半ば納得したが、いまのミヨ子さんはそれに近い状態なのだろうか。
お嫁さんのメッセージには「面会は15分くらいでした」ともあったが、動画にない部分に、ミヨ子さんと会話できる状況があったとは思えない。横たわるミヨ子さんに声をかけ、簡単な返事が返ってくる、という状態が続いたのだろうと思う。
お嫁さんがミヨ子さんの髪を揃えてやる動画もあった。お嫁さんは同居している間もミヨ子さんの髪を切ってあげていたから、気になったのかもしれない。わたしが帰省し施設で面会した折も、お嫁さんが「お母さんの散髪をしてあげる」というので、手伝ったたことがある(帰省余話 2024秋 34 面会での散髪)。
そのときミヨ子さんは車椅子に座っていたが、今回はベッドに仰向けのままだから、鬢の部分や前髪くらいしか切ってあげられなかったはずだ。それでも、人の手が肌に触れると気持ちがいいのか、ミヨ子さんは目を細めリラックスした表情を浮かべていた。
同じ病室のほかの患者さんが、どんな年齢でどういう状態かはわからない。たぶん、相互に影響がないような病状、症状の人を同室にしていることだろう。同室者どうしで会話することもないだろう。そもそもミヨ子さんは、ふつうの会話ができる状態ではない。少なくともいまは。
この先「万一」のときまで、カズアキさん家族がお見舞いに行くたびに様子が知らされてくるだろう。タイトルを転院後「(1)」としたのはそういう理由だ。ごくごく限られた刺激しかない中で、ミヨ子さんは心身ともにゆっくりと衰えていくのだろうか。その様子を動画越しに見守るのはつらいものがあるが、この先もまたメモを残すつもりでいる。(次は転院後(2))
