文字を持たなかった昭和 終末期25 驚きの復活
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況の続きである。昨年末から入院していたミヨ子さんの容態が2月早々に急変、わたしは「万一」も考えて鹿児島へ向かったが幸い容態は安定した。
ミヨ子さん自身とそれを取り巻く家族の状況は「その後の容態」(2025/3/1掲載)に記したとおりで、ミヨ子さんは低空飛行を続けながら最後の到達点に向けてゆっくりと高度を下げている状態だろうか。一旦自宅に戻ったわたしは奇妙な「待機」を続け、その間にミヨ子さんは3月10日、病床で誕生日を迎えた。
さて、時間は3月6日にさかのぼる。
入院先の近くに住む長男のカズアキさん(兄)家族からの連絡だけがミヨ子さんの状況を知る唯一の手立てだが、この日のお嫁さん(義姉)からの連絡には仰天した。
当日お嫁さんは二女(姪)を伴って面会に行ったらしい。スマホに届いたメッセージには「お母さん、今日はよく動いてびっくりしました」とあり、写真と、動画数本が送られてきた。
写真のミヨ子さんはぱっちりと目を開けている。視線が斜めなのは話している二女を見ているせいだろう。
動画には当然ながらお嫁さんや二女との会話も入っている。そう、会話である。直近でわたしが面会したときは呼びかけに目を開けるくらいで、声は出なかった。カズアキさんたちのその後の面会でもほとんど同じだった。
しかしこの日は明らかに会話をしていた。入れ歯を外しているから不明瞭なのだが、面会に来た二人の呼びかけ、問いかけにタイミングよく声を出しているのだ。しかも声(音)はよく出ていて、「歯が入っていればきっと会話になっているだろうなぁ」と思わせた。
時折り腕を布団から出して動かしてもいる。先月の面会のとき腕は胸の前に置いたきりで少しも動かなかったのに、どんなエネルギーが腕を動かしているのか。
「ずっと寝ているから体が痛いでしょう」とお嫁さんが問う。ミヨ子さんは「……が痛い」と言っているように聞こえる。施設入所まで10年近く同居していたお嫁さんが「ああ、脚が痛いのね」と返すとミヨ子さんは頷く。言葉が明瞭でない点を除けばまったくふつうの会話だ。「ばあちゃんすごいね、復活してる」と二女が感嘆する。
「もう3月ですよ。もうすぐお義母さんの誕生日だね」とお嫁さんが言い「誕生日、3月のいつですか?」と問うた。ミヨ子さんはやや不明瞭ながら「とおか(10日)」と答えた。そうなのだ、ミヨ子さんはもうすぐ誕生日を迎えるのだ。「ばあちゃん、あと4日だね」と二女が続ける。
動画の中のミヨ子さんは、この1カ月以上ほとんど反応せず(できず)ただただ横たわっているだけな(だった)のが信じられないほど、ふつうの表情と反応を見せ続けた。言葉を換えれば「人間らしい」表情を。
わたしは画面を凝視し、ときに「お母さん」と呟いて画面の中の顔を撫で、少しでも言葉を聞き取ろうと耳をスマホに近づけた。ミヨ子さんは明らかに何かを伝えようとしていたから。ふいに空中を見つめ、その方向に手を伸ばして語り掛けることもあった。もしかして「誰か」――例えば両親(祖父母)とか、先に旅立ったきょうだいや夫(父)とかが見えているのだろうか、とふと思った。
話しているミヨ子さんは口の動きも活発で、いま重湯でも飲ませたらちゃんと飲み込んで、じきにふつうのおかゆ、そして通常食に戻れるんじゃないかとすら思えた。
ただ、前項で書いたようなブドウ糖点滴だけで命を永らえている人が、元の生活にまで「回復」するとは思えない。こんなことが数日に1回くらいはあるのか、それとも最期に向かう途上での瞬間的な命の燃焼なのか。それは誰にもわからない。(次は「常態か、たまたまか」)
