文字を持たなかった昭和 終末期37 3月18日② 適応?
鹿児島の農村で昭和5(1930)年に生まれたミヨ子さん(母)の近況について、「3月18日①」にそのまま続ける。
この日、隣のベッドの患者さんが大きな声で独り言を言っていた。あまりに大きな声なので、最初わたしは面会に来た人が語り掛けているのかと思ったのだが、様子を窺ったお嫁さん曰く「一人でしゃべってる……」。なんでも以前介護施設で働いていた人のようで、その頃の話を、幻覚だか幻聴だかの相手にずっと話しているらしい。
お嫁さんはミヨ子さんに「(隣の人が)やじろしかねー」(うるさいわねー)と言って笑いかけ、にぎやかな面会になった。きっと同じことを思っているであろうミヨ子さんも、お嫁さんの語りかけは楽しかったはずだ。わたしだけだとついしんみりしてしまう面会も、性格の違うお嫁さんが来ると雰囲気が変わってよかったと思う。
この日も手を取って擦ってあげようと布団の肩口を捲った。改めて見ると、肩が信じられないほど小さい。お嫁さん(義姉)も「お母さんはなで肩だったけど肩幅はあったよね。肉もついてたし。こんなに痩せるんだねぇ」と言う。こんなになるまで生きて、いや生かしておかなければならないのだろうか。
しかし、擦ってあげた手は温かく、手を握ると軽く握り返してもくれた。電気毛布の温度設定も「適温」だった。脚を擦ると気持ちよさそうだし、何度か口をパクパクした。何か言いたかったのだろうか。
この日印象的だったのは、仰向けに寝ているミヨ子さんの顎が上がっていたことだ。人は「その時」が近づき心肺機能が低下すると、より多くの酸素を取り込むために顎を上げて呼吸するようになるらしい。長距離走などで「顎が上がる」あの状態だ。わたしは、今日たまたまそういう姿勢だったのだと祈るしかない。
帰り際、お嫁さんと顔見知りらしい看護師さんが「この(低い)状態でしばらく続くでしょう」と、身振りで示した。もちろん急変の可能性込みの話ではあるが、総体的には前日より落ち着いている印象だった。モニター画面で見る数値も低いなりに安定しているように見えるし、点滴を減らした分だろう、脚のむくみも和らいでいるようだ。
「酸素マスク着用と点滴減量と言う新たな環境」に、ミヨ子さんは適応しようとしているようにも見える。終末期の体であっても。あるいは終末期の、ある意味シンプルな体ゆえに。さらに自分の体を削りつつ。生き物の生命力、生存欲求とは、そういうものかもしれない。
では、人としての尊厳とは何だ? わたしはまたわからなくなる。
(次は「3月19日」)
