文字を持たなかった昭和 帰省余話(2024秋 26) グループホーム① 概要
昭和5(1930)年生まれで介護施設入所中のミヨ子さん(母)の様子を見に、この秋帰省した。その中の一日を使い郷里へ連れて行ったお話は、反省も含め6~25に綴った。外出できたのは4時間半程度だったが、20回もかけて書いたことになる。それでも書ききれなかったことはたくさんあるのだが、ひと区切りつけることにする。
さて、帰省している間施設へはほぼ毎日面会に行った。ミヨ子さんの入所後初めて訪れたこの施設(グループホーム)について、本項から3回に分けて記しておきたい。
ミヨ子さんの嫁ぎ先(わたしの実家)の建屋は取り壊してもうなく、ミヨ子さんは息子のカズアキさん(兄)家族と10年ほど同居してきた。わたしの「帰省」先もカズアキさんの家だ。入所先の施設は同じ地域にあるから、面会に行くのに便利と言えば便利ではある。
ただしわたしはペーパードライバーだ。帰省を含め地方へ行くとたちまち足(交通)の問題にぶつかる。ミヨ子さんを郷里へ連れて行った日は、ツレがレンタカーを運転してくれたうえ車椅子の積み降ろしなど力仕事を買って出てくれて助かったが、先に帰ってしまった。
カズアキさん宅がある鹿児島市の北の郊外一帯は茶どころで丘陵が多い。施設へは車だと5分もかからないのだが、歩くと20分以上かかる。それも丘を開発した団地からいったん降りて、山林の上にお茶畑が広がる別の丘へ上がって、少し下がってまた上る、という道のりだ。人家や施設はほとんどなく、県道を車が行き来するだけだ。面会のためにその道をずいぶん往復した。
施設は2棟あり、ミヨ子さんが暮らす棟には9人の入所者がいる。あとで厚生労働省のホームページを読んで知ったことだが、グループホームという形態の場合入所定員は9名らしい。定員はユニット(棟)単位で、この施設のように1棟ごとに9人まで入所している、という場合もあるだろう。常駐職員は、昼間3人、夜間1人、それ以外にケアマネージャーや管理者などが必要のようだ。ミヨ子さんの施設もこれらの基準を満たしたうえで運営経営されていると思われる。
建屋に入るとホールというか広めの食堂があり、大きなテーブルが二つ置かれている。あとは、一般家庭の台所より少し大きい程度のキッチン、浴室、トイレがある。おそらく洗濯室や職員の休憩室などもあるのだろうが、そこまではわからなかった。
面会室はない。面会は、この施設の場合入所者の個室でできた。ただし、感染などの懸念がないことが前提だろう。ミヨ子さんが入所した当初は新型コロナが流行しつつあったせいか、面会は玄関先で行われていた。感染状況によっては面会そのものが制限される可能性もあるだろう。
面会は一応予約制で1入所者につき1日1回、1回30分程度というルールらしい。わたしも「明日の〇時頃来ます」などと予告して面会に行った。
もっともこの施設は面会に対して比較的寛容というか「緩い」。同じ県内、市内のほかの施設の話も聞いたが、施設によっては直接の面会はできずガラス越しとか、できても予約や時間のルールが厳しいという話を耳にした。
「緩い」と言えば、面会記録も緩かった。わたしは面会の都度、玄関先の面会簿に入所者氏名・面会者氏名・続柄・来所時間・退所時間を書き入れたが、お嫁さん(義姉)は「一回も書いたことない」と豪語(?)していた。つまり顔パスだ。(「グループホーム②」へ続く)
