最近のミヨ子さん(変化)

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 今日は当時のことから離れ、母の近況について。

 前々項の「もうひとつ番外、最近の梅の木」で触れたとおり、先日兄が上京した。時間の許す限りいろいろな話をしたのだが、わたしがいちばん聞きたいのは、もちろん母のことである。兄は母の「現状」を受け入れ難いと感じている様子がふだんから見え隠れしているので、言葉を選びつつ。

「聞きにくいんだけど」と前置きしてから
「お母さんを(兄が家庭菜園を営んでいる実家跡の)畑とかに連れて行くことがあるの? 前は時々連れて行ってたでしょう?」
「(週末中心に行く)畑には、朝早く出て夕方まで長時間いるから、母ちゃん――兄は母をこう呼ぶ――は連れて行けない。畑に行けばじっと座ってなくて、でこぼこの所も歩こうとするから危ない。家の中でも転ぶのに」

「そう…。最近あまりお母さんのことを(電話やSNSで)聞かないな、畑にも行きたいかもな、と思って」
「外に連れて行くのは大変なんだ。家でもデイサービス先でもけっこう粗相するし。粗相したズボンをトイレの汚物入れに入れようとしたり、このまえはデイサービスのトイレで手を洗ったあと、タオルのつもりでゴム手袋で手を拭いてたらしい」
とひとしきり愚痴ったあと

「とにかく、大変なんだよ。その都度注意するんだけど、『だって~~だから』って言い訳するんだ。それに腹が立つ」
「うーーん。もうその場その場の意識しかないんだから、怒らなくてもいいんじゃない?」
「お前はやさしいことを言うけど、目の前でされたらなあ」
「………。そうだね。毎日見てると、言いたくなるかもね。お義姉さんには頭が下がるよ」

 ここで会話を終えた。兄は、自分が知っている母が少しずつ変わっていく様子、その変化は増えこそすれ、少しでも元に戻ることはないという現実に、疲れているようにも見えた。もっとも、母の世話をしているのは基本的に義姉なのだが。

 あるいは、自分の母親の世話を妻にしてもらっていることに、負い目というか遠慮があるのかもしれない。それは取りも直さず妻を大事に思っていることと同義であり、よいことだとは思う。 

 兄が帰ったあと、義姉とのSNSのやりとりの中で
「兄貴からお母さんの愚痴を聞かされた。お義姉さんは(母のことを)おおらかに受け止めてくれててありがたい」
と送ったら
「いえいえ。お兄さんは自分の親だからしっかりしていてほしいんだろうけどね」
と返ってきた。ほんとによくできた人だ。この人の姑で、母は幸せだ。

 兄と話しているとき
「たまにはお母さんの写真を送ってくれる?」と聞いたら
「SNSのビデオ通話でいいんじゃないか? 俺のスマホでもうち(義姉)ののでも」

 そう。この先母は衰えていくだろう。話せるうちに、顔を見られるうちに、手段を尽くしておこう。そう誓った日だった。


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