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"何もしてないのに疲れた"には理由がある。

朝起きた瞬間から、もう疲れている日がある。

特別なことをしたわけじゃない。
重たい荷物を持ったわけでも、
何時間も走ったわけでもない。

なのに、身体が重い。

スマホを見るだけで疲れる。
通知を見るだけで疲れる。
返信を考えるだけで疲れる。

そんな自分に対して、
「何もしてないくせに」
って責めてしまう人は多い。

でも、本当に“何もしてない”のだろうか。

わたしたちは、
思っている以上に
毎日たくさんのものを抱えて生きている。

空気を読むこと。
相手の機嫌を気にすること。
嫌われないように言葉を選ぶこと。
ちゃんとして見えるように振る舞うこと。

誰かにとっては普通にできることでも、
誰かにとっては、
それだけでエネルギーを使い切るほど苦しい。

特に、優しい人ほど疲れやすい。

人の感情を敏感に受け取ってしまうから。
自分より相手を優先してしまうから。

「迷惑をかけちゃいけない」
が染みついているから。

だから、
周りから見たら
普通に過ごしているように見えても、
心の中ではずっと戦っている。

ちゃんと笑えているか。
変な空気にしてないか。
嫌われてないか。
期待に応えられているか。

そんなことを考え続けていたら、
そりゃ疲れる。

でも真面目な人ほど、
その疲れを認めない。

「もっと頑張ってる人がいる」
「これくらいで弱音吐いちゃダメ」
「自分なんかまだ甘い」

そうやって、自分の限界を無視し続ける。

だけど、人間の心って、
無限じゃない。

見えないところで少しずつ削れていく。

気づいた頃には、
好きだったことが楽しめなくなっていたり、
人と会うのが怖くなっていたり、
何もしてないのに涙が出そうになったりする。

それでも現代は、
“疲れてる理由”
が目に見えないと認めてもらいにくい。

熱がある。
怪我をしている。
残業続き。

そういう“分かりやすい疲れ”は心配される。

でも、
「なんかしんどい」
「全部重たい」
みたいな疲れは、
怠けとか甘えにされやすい。

だからみんな、
無理して動いてしまう。

本当は休みたいのに、
「まだ頑張れる」
って自分を追い込んでしまう。

でも、
“何もしてないのに疲れた”
じゃなくて、

“ずっと気を張って生きてきたから疲れた”

なのかもしれない。

ちゃんと傷ついてきたから。
ちゃんと耐えてきたから。
ちゃんと頑張ってきたから。

疲れるのは、当たり前だったのかもしれない。

わたしは、
メンタルが落ちている時ほど、
「何もしてない自分」が嫌いだった。

周りは学校行って、
働いて、
頑張っているのに。

自分だけ止まっている気がして、
どんどん情けなくなった。

でも、ある時気づいた。

“生きてるだけで疲れる時期”って、
本当にある。

呼吸するだけで精一杯の日。
朝を迎えるだけで偉い日。
誰にも会わずに終わるだけで限界の日。

そういう日を、
無理にポジティブに変えなくてもいいと思う。

「頑張れない自分」を否定し続けるより、
「今は疲れてるんだな」
って認めてあげる方が、
少しだけ呼吸がしやすくなる。

世の中は、
頑張る人を褒める。

限界まで努力した人。
休まず動いた人。
結果を出した人。

もちろんそれはすごい。

でも本当は、
壊れずに生き延びることだって、
十分すごい。

ちゃんと眠れなかった日。
何もできなかった日。
部屋から出られなかった日。

そんな日にも、
確かに“生きていた”という事実がある。

誰にも褒められなくても、
それはちゃんと頑張っている。

だからもし今、
「何もしてないのに疲れた」
と思っているなら。

それは、
あなたが弱いからじゃない。

きっと、
ずっと無理してきたからだ。

見えないところで、
たくさん耐えてきたからだ。

だから今日は、
少しくらい休んでもいい。

立ち止まってもいい。

ちゃんと疲れている自分を、
ちゃんと認めてあげてほしい。



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