あの頃焦がれた雨の味 #シロクマ文芸部
夜に降る雨は苦い、と言ったのは誰だったか。
幼かった私は、それを聞いてから夜の雨を待った。
苦いものが好きだったわけではなく、単純に「雨に味があるんだ!」と思っただけのこと。苦い雨があるのなら、甘い雨もあるのかもしれない、とも思った。
けれど、雨は待つと降らなかった。
「ねえねえ、おかあさん、今日は雨降るかな?」
「今日は晴れの予報だったね」
「そっかあ。ざんねん」
「いつもは雨だと遊べないって言うのに」
母は笑って言い、私は自分の矛盾に気づかず頬を膨らませた。
ある夜、ついに待ち焦がれた雨の夜が訪れた。
外に出て「あー」と開けた私の口の中に、雨が落ちてくる。
苦くない。甘くもない。味なんてしない。
それが素直な感想だった。
「もー、濡れちゃうでしょー」
私を追いかけてきた母は呆れて、それでも笑っていた。
母に連れられて部屋の中に戻ると、「苦かった?」と父が聞く。
「にがくない! 味なんてしなかったよ」
「そうかあ。待ってたのにな、残念」
父の手が、雨に濡れた私の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。あたたかかったのを覚えている。
それから私は時々、雨の味見をした。
朝の静かな雨。晴れた日に急に降って来る雨。夕方に降る強い雨。
どの雨も同じ味——、というよりもなんの味もしなかった。
しばらくいろんな雨の味見をしてから、私はやっと両親に聞いた。
「おとうさんは、苦い雨知ってる?」
父は、少し「うーん」と考えてから答えた。
「まあ、ときどきは、そういうこともあるかもしれないなぁ」
「じゃあ本当に雨には味があるんだね?!」
答えに、また私の胸は弾んだ気がした。
今になって思えば、母も父もよく「変な子」と言わずにいてくれたなと思う。
それから何年も経って、ようやく気づいた。
夜に降る雨が苦いのには、理由がある。
部活で負けた日の夜の雨は苦い。
テストの点数が悪かった夜の雨は苦い。
告白に失敗した夜の雨は苦い。
お母さんと喧嘩した夜の雨は苦い。
遅くまで仕事をした夜の雨は苦い。
四年付き合った恋人と別れた夜の雨は苦い。
大きなミスをした夜の雨は苦い。
友だちに傷つけられた夜の雨は、苦い。
夜に降る雨は、苦い。
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2025.11.04 もげら
