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わたしたちも、トラウマを抱えている 『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』【ネタバレあり考察・後編】

ラストシーンのキスは、確かに美しかった。
でも、それは本当に救いになるのか?

⚠️小説下巻のネタバレを含みます。


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キスは、救いになるのか?

小説のハサウェイは、マフティーとして死ぬ。

マフティーのまま処刑される。
ギギに会えないまま。

仮面をかぶったまま死ぬなら、マフティーという物語が終わるだけだ。

だが、ギギのキスでハサウェイ・ノアに戻された。

食事を楽しみ、キスを交わし、肉体を持つ人間に戻ってしまった。このまま処刑されるなら、死ぬのはマフティーではなく、ハサウェイ・ノアとしてだ。

ギギの目の前で。素顔のまま。

互いを認めあうことは、救いになった。
同時に、残酷な結末への扉だった。

肩書きのない2人だからこそ、失うものが増えてしまったのだ。

前編のラストで描いた美しい場面。
あれは始まりにすぎない。

これからのハサウェイの結末を読み解くには、彼の隣にいた女性たちの心の動きを追う必要がある。


ギギの化粧と装い

ギギ・アンダルシアはどういう人間か?

彼女のモデルとなったのは、1920年代パリで数々の芸術家を狂わせたミューズ「モンパルナスのキキ(アリス・プラン)」と推測される。

ギギにとって装いは自分を生かすための武器だ。

ギギは劇中衣装が多い。
約10種もの様々な装いで、美しさを発揮する。
美しさだけではない、彼女の心理も映しだす。

アリス・スプリングスのホテル、ケネスに呼ばれた際には、露出を抑えたパンツスタイルで肉体関係を拒否。一貫してケネスの前ではパンツスタイルだ。

ハサウェイを感じたエアーズ・ロックへ向かう際の装いは、対照的に、古いラブロマンス映画のヒロインのような、イエローのオフショルダーのミニワンピース。少女らしい無防備なスタイル。

衣装は女を映す鏡。
ハサウェイへの好意もみえる。

そして、もう一つの武器は化粧だ。

化粧はギギにとって、自分を生かすためのもの。
彼女の生きざまだ。

第2部では化粧をするシーンが多い。
そのままギギの心を示している。第1部にはなかった化粧描写が、ここで初めて意味を持つ。

まず、ケネスと話しながら化粧しているシーン。
彼女は足の指にマニキュアを塗りながら、つまり化粧の途中を平然とさらす。

化粧途中の顔を見せる相手は、選ばれている。

素材むき出しの状態を見せるのは、信頼できる相手か、あるいはどうでもいい相手だ。

ギギがケネスにそれを見せているということは、ケネスは「安全な相手」ではあっても、「本命」ではない。ケネスへの信頼はある。だがそれは、心を預けるものではなく、生活を預けるものだ。

こういう何気ないシーンにも、ギギがハサウェイに気持ちが依っていることがわかる。

無意識の線引き。
ギギ自身も気づいていないかもしれない。

香港での夜、ギギは化粧を落とす。
素の少女はハサウェイに思いを馳せる。

伯爵のもとを離れるとき、ギギは化粧をする。
これは「誰かのための装い」ではなく、
「自分のための決意の戦化粧」だ。

大人たちに利用され、愛される術だけを磨いた。
幸せが続くことはない。と刷り込まれてきた。
そんな日々を終わらせる。

自分を愛させるために振るった刀を、今度は自分の覚悟を決める懐刀に変えて。
少女はハサウェイと生きる道を選んだ。


ケリアの髪

ギギの対になる存在として、ケリアの話をしなければならない。ハサウェイの主治医であり、恋人。

ギギが化粧で装う女性なら、ケリアは髪でけじめをつける女性だ。ケリアの髪は、物語が進むにつれて変化する。長く、短く、そして、坊主へ。

劇中、印象的なシーンがある。
マフティーを去るケリアを、雨の中ハサウェイが追いかける。この時、ケリアとの出会いを思い出す。

彼女は雨に打たれて、偶然ハサウェイと出会う。
惹かれあい、触れ合い、家族へ近づく。

映画は、この過去をセリフなしのダイジェストで駆け抜ける。

小説を補助線にする。
2人は結婚を決めるが、ケリアは不法移民で、制度上家族になれない。その後ハサウェイはケリアに偽造カードを渡す。
家族になれる希望を与えておきながら、それでも、マフティーの活動にのめり込んでいった。
ケリアは髪を切り、ハサウェイの活動を支え続ける。

ケリアはなぜ、髪を切るのか?

それはけじめだ。

最初の断髪。回想の中でのそれは、ハサウェイとの未来を願うのではなく、隣で支える決意。つまり家族ではなく同志になる覚悟。

二度目の断髪。劇中でのそれは、ハサウェイの気持ちがギギに移っていくのを感じながらも、彼の言葉を信じようとする決意。でも感情が先に動いてしまった。だから、髪型は凸凹だった

ハサウェイは嘘をつかない。
ケリアには分かっていた。
ギギへの嫉妬で、離れたわけではない。

態度で気づいたのだ。

ハサウェイの中から、自分が消えていくことに。
そして、船を降りる決意をした。

回想では劇中歌「ENDROLL」が流れる。

言葉にできないものを、音楽が代弁する。

僕らは、既に失ってしまった。
誰かが去らなければならない。と紡いでいく。

ハサウェイはケリアに「仕事をさせてくれ」と言った。既にケリアへの感情は、好き嫌いの問題ではなかったのだ。余裕がなかった。

マフティーを全うするため、大義名分で過去に蓋をした。ケリアを、その蓋の下に閉じ込めた。

しかし、ケリアがいなくなったと知ると、走り出してしまう。マフティーになりきれない。

ハサウェイは未熟で、いつだって揺らいでいる。

雨の中追いかけるシーンは、映画オリジナル演出。

小説ではケリアがマフティーを抜けることはない。ハサウェイは処刑前夜に、ケリアとのわだかまりを苦悩している。

今後ケリアがハサウェイの前に現れるかは不明だが、決着をつける展開もあると思う。


チェーン・アギの記憶

そもそもハサウェイの原罪は、クェスを救えなかったことではない。

チェーン・アギを、殺したことだ。

あの瞬間、正義はなかった。
愛もなかった。

感情を制御できなかった子供が、衝動のまま引き金を引いた。逆恨みだ。それ以上でも以下でもない。

ハサウェイは、チェーンの名前すら口にできない。記憶を封印し、存在を消してきた。
若いハサウェイには荷が重すぎたのだ。

第2部まで、彼女の名前は一度も出てこない。
それほど深いところにある闇だ。

マフティーになった動機も、根っこはここにある。

横暴な大人たちを粛清する。正しいことをする。
正しい自分。マフティーを演じることで、自分を上書きしようとした。シャアのようになるため。

ここで疑問が生じる。

なぜシャアになりたがっているのか?

ハサウェイとシャアに接点はない。
会話もなければ、憧れる要素もない。
しかし、マフティーの思想はシャアと似ている。

小説にもその答えはない。
だから映画では、それを描こうとしている。

わたしの答えはこうだ。
「クェスが憧れた男性になりたい」

シンプルで、馬鹿げているとも言える。

だが、マフティーの演説がシャアの受け売りで、戦い方もシャアを模倣しているなら、その動機は純粋な思想じゃない。

それほどハサウェイの心はクェスに囚われている。

無意識にシャアのように振る舞うことで、彼女の憧れた存在に近づく努力をしていた。

しかし、理想の実現までの難しさと、苦悩を知る。

内なるアムロに、シャアと同じ言葉を投げかける。

「パイロットだけやっているわけではない!」
「地球は人間のエゴ全てを飲み込めやしない!」
「今すぐ愚民ども全てに英知を授けてみせろ!」

「正しいことをする」の裏には、
あの罪を認めたい。でも認められない。
その葛藤がある。

考えと行動と、感情と無意識が、全部バラバラだ。

だから苦しい。だから壊れる。
だから、飯が食えない。

第2部の終盤で、チェーンの映像がフラッシュバックした。この演出は第3部での展開を左右するものになるはずだ。


向き合うことだけが、できること

ハサウェイの贖罪は、物語の中で語られるだろう。

贖罪とは何か?

贖罪しょくざい、難しい言葉だ。
簡単に言えば、やってしまったことに対して、自分にできることをやること。

「許してもらう」とは違う。

ハサウェイの贖罪は行われるか?

交通事故で人を死なせてしまった加害者が、のちに手記を残すことがある。加害者のノート。

書かれているのは、「許してほしい」ではない。

「なぜ自分はその時、あの判断をしたのか」
「なぜ止まれなかったのか」
「その瞬間の自分は、何を考えていたのか」

終わらない、答えの出ない自問自答。

被害者は帰ってこない。
やってしまったことは、なかったことにできない。解決策は、ない。

でも、目を背けずに自分の罪と向き合うこと。
過去から逃げずに自分を直視すること。
それだけが、唯一「できること」だ。

ハサウェイに必要なのも、同じだ。

チェーン・アギの記憶から目を逸らさず、ハサウェイ・ノアとして受け止めること。

解決策なんてない。
できることをやるしかない。

許されることではなく、
向き合うことが描かれるはずだ。


コックピットを開ける

ハサウェイはチェーン・アギと、向き合わなければならない。

アムロやクェスの幻覚を出現させてきたこの作品が、チェーンとの対峙を描かないはずがない。

第3部では、この封印が必ず解かれる。

向き合った先に、何があるのか?

もし、ハサウェイがチェーンのことをギギに話すのなら。それは懺悔ではなく、告白だ。

誰にも言えなかった罪を、初めて人に預ける行為。

過去を隠さずに、マフティーになった本当の理由。クェスのことも話すだろう。

映画逆襲のシャアで、ハサウェイは叫んだ。
コックピットの外から、クェスに向かって。

「顔を見れば、そんなイライラ すぐに忘れるよ!」

クェスは答えてくれなかった。

12年後。今度はギギが、コックピットの外からハサウェイに呼びかける。

「あなただけ、そんなものをかぶって!」

あの時と同じ構図だ。外から手を伸ばす。
そしてハサウェイは、バイザーを開けた。

その顔は、泣いていた。マフティーではない。
ハサウェイ・ノアの顔だった。

かつて衝動で人を殺した男が、
今度は自分の意志で仮面を脱ぎ、自分を晒した。

肩書きのない2人になるために。

すべてを晒した上で、それでも隣にいてくれるのか。その答えを聞くまで、2人は対等じゃない。


肉体が触れるということ

ガンダムシリーズにおいて、最終盤の「肉体的な接触」は物語の結論そのものだ。

過去作品を振り返ってみる。

F91。シーブックとセシリーは宇宙で再会し、抱き合う。触れた瞬間に、2人の物語は決着する。

ジークアクス。マチュとシュウジはキスをして、そして離れる。触れて、離れる。キスは再会ではなく訣別だった。別れが、物語の結論だった。

逆襲のシャア。アムロは消えてしまう。
肉体ではなく、意識で触れ合う。ニュータイプとしての決着だった。

では、ハサウェイとギギのキスは?

肉体が触れた。
この物語はキスを選んだ。

第3部の結末は、肉体の問題として決着する。
精神世界ではなく、2人の身体が、答えを出す。

富野監督の言葉。

「ニュータイプの話なんかに、するな」


わたしたちはどこへ向かうのか

物語を、最初と最後だけ話すとつまらない。

トラウマを抱えた青年がテロリストになり、反地球連邦に立ち上がり、失敗して捕まり、処刑される。

それだけだ。
しかし、大筋が同じでも描き方が違えば、わたしたちの心に残るものは変わる。

富野監督は村瀬監督に、こう言ったという。
「青春映画にしなさい」と。

青春映画。この言葉の射程は広い

ギギとハサウェイ、そしてケネスの三角関係。
恋愛の話でいい、ということかもしれない。

壊れながらも何かを選ぶ2人の話でいいんだ、ということかもしれない。

わたしは、第3部の結末を2つ考えている。

ハサウェイ・ノアとして死ぬ結末

チェーン・アギの罪と向き合い、ギギにすべてを告白した上で処刑される。マフティーとしてではなく、ハサウェイ・ノアとして。

原作と大筋は同じだ。なぜならばテロリストであり、それを是としないからだ。
でも、意味がまるで違う。原作のハサウェイは仮面のまま死んだ。
映画のハサウェイは、素顔で死ぬ。

残酷だ。でも、そこには救いがある。
最後に嘘のない自分でいられた。
理解者がいたことの救い。

マフティーだけが死ぬ結末

形式上、マフティー・ナビーユ・エリンは処刑される。しかしハサウェイ・ノアは生き残り、ギギと2人で地球へ消える。

社会的にはマフティーは死んだ。だが名前を消し、家族からも離れ、ハサウェイはギギと生きていく。
そんな物語もあるかもしれない。

「青春映画にしなさい」
その言葉が、この結末を選ばせる可能性はある。

ギギがハサウェイを選んだ以上、2人を恋愛映画として、着地させる選択肢は用意されている。

どちらの結末であっても、原作小説とまったく同じにはならない。

この物語は原作から分岐した。
でも、その閃光の中に誰がいるかは、変わった。

わたしは、ハサウェイは処刑されると思っている。
でも、それが悲劇だとは思わない。


マフティーとして死ぬのか。
ハサウェイ・ノアとして死ぬのか。

その違いは、途方もなく大きい。

でも、一瞬でもいいから、ハサウェイとギギが同じテーブルで食卓を囲むシーンがあってほしい。
そう願う。


わたしたちも、トラウマを抱えている

わたしたちも、ハサウェイと一緒だ。

逆襲のシャアで止まってしまった人間なのだ。
思えば、歳をとったものだ。

閃光のハサウェイの小説版で、暗い気持ちになった同志でもある。

キルケーの魔女を観て、劇場で動けなかった。
映画がすごかったからだけじゃない。自分の中の何かが、揺さぶられたからだ。

映画逆シャアから、38年経った。
何も解決していないんじゃないか?

ハサウェイの中でも、わたしたちの中でも。

大人になったつもりでいた。
でも、また物語が始まろうとしている。

閃光のハサウェイは、まだ続いている。
トラウマを抱えて、長く生きなければならない。


おわりに

閃光のハサウェイ キルケーの魔女は
心を揺さぶられる、良作だった。

第3部が発表されたとき、この記事を読み返してほしい。合っている、合っていないはどうでもいい。

劇場の空気を思い出して、
ガンダムおじさんが語っていたことを。

Sweet Child O’ Mineのリフを頭の中で鳴らして。

彼らがどこへ向かったのか、答え合わせをしよう。

(了)


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