テムズウォーターに見る水道事業の難しさ
イギリスの水道問題について取り上げます。ロンドンなど首都圏で水道を供給している「テムズウォーター」という会社が経営難に陥っていて、デフォルト(債務不履行)状態にあるという話の続報となります。
このテムズウォーターは、投資会社とともに約40億ポンド(日本円でおよそ8,000億円)もの資金調達を目指して交渉を続けていました。ところが、2025年6月3日になって投資会社側が撤退を表明。状況はさらに厳しさを増しています。
この経営悪化の影響もあって、この4月にロンドンの水道料金が約3割も値上げされました。この会社、そしてロンドンの水道は一体どうなってしまうのか。破綻の危機に瀕しているテムズウォーターの現状について、改めて整理してみたいと思います。
テムズウォーターの振り返り
まず、テムズウォーターという会社について簡単に振り返ります。この会社は1989年、サッチャー政権下でイングランドとウェールズの水道事業が民営化された際に誕生しました。現在ではイギリス全体の人口の4分の1に水道サービスを提供し、約8,000人の従業員を抱える大企業です。

当時のイギリスはオイルショックの影響でインフレと財政赤字に悩まされており、水道事業も深刻な投資不足によりインフラの老朽化が進んでいました。そこで民営化を通じて財政赤字の削減を図ると同時に、経営効率の向上やサービス改善、そして水道料金の引き下げを目指すという方針が掲げられたのです。
民営化の失敗
ところが、この民営化は全くうまくいきませんでした。
テムズウォーターに出資していた投資家たちは、ロンドンの水道事業がコスト高にもかかわらずリターンが乏しいと判断し、国内のインフラ投資を控えて海外の水道事業への投資に注力するようになりました。
そもそも水道料金というのは人々の生活に欠かせない生命線のようなものであり、簡単に値上げができません。そのため、水道会社がインフラ整備などに投資をしても、それを十分に回収するのが難しいという問題があります。
結果として、民営化後もロンドンの水道インフラにはほとんど投資が行われず、19世紀に作られた水道管はボロボロのまま。それにもかかわらず、水道料金は民営化前よりも高くなっていきました。そして、引き上げられた水道料金で得た収益も、株主への配当や経営陣の高額報酬へと消えていくという構図になり、サービスの質やインフラの改善はほとんど進まないまま、状況はむしろ悪化することになってしまったのです。
インフラ老朽化と経営悪化の加速
その後、ロンドンの人口が増えるにつれて、水の供給量や下水処理の量が増え、インフラへの負担も重くなりました。テムズウォーターはその対応に追われる中で経営状況もさらに悪化、老朽化した水道管の破裂事故は年間数千件にも上るとされ、これらの保守には莫大な費用がかかっています。
経営の悪化を受けて、2017年以降は株主への配当をストップし、立て直しを図ろうとしましたが、2022年頃から状況は一段と厳しくなります。特に2022年、ウクライナ戦争の影響で世界的にインフレが急加速しましたが、イギリスではそれ以前から風力発電の不安定さなどによってエネルギー価格が上昇し、物価上昇が続いていました。
テムズウォーターと物価連動債
テムズウォーターの債務のうち約半分は「物価連動債」で構成されていました。これは物価の変動に応じて元本が増減する債券で、デフレ環境下では調達コストを抑えられるメリットがある一方、インフレが進むと元本も膨らみ債務が増えるというリスクがあります。
2010年代、世界的なデフレ傾向の中ではこの手法は効果的でしたが、2020年代に入りインフレ局面となったことで、物価連動債がむしろ重荷となり、財務がさらに悪化。しかも、テムズウォーターはインフレリスクに対するヘッジもしていなかったため、打撃は一層大きくなりました。
債務不履行と資金調達失敗
こうした中、2024年に利払いができず、ついにデフォルト状態に陥りました。その後、経営再建を目指してプライベート・エクイティ投資会社KKRなどと資金調達の交渉を進めていましたが、2025年6月3日、KKRが救済から撤退すると発表、新たな調達先を探しているものの、現実的にはかなり難しい状況です。
これにより、「最後のチャンスを失った」と見る声も出ています。
政府の対応と限界
では、資金提供者が現れなければテムズウォーターはどうなるのか。
最終的には「国有化されるしかない」と見られています。しかし、現在のスターマー政権はこの問題に対してあまり積極的ではありません。2024年の選挙においても水道事業の国有化を公約に掲げることはありませんでした。その理由は明白で、国の財政も厳しい状況にあるからです。
政府は今、医療崩壊が深刻とされるNHS(国民医療制度)の改革や、5年間で150万戸の住宅を建設するといった大きな予算を要する政策を進めています。また、地方自治体も軒並み財政危機に直面しており、中央政府としても支援に限界があります。
イギリスの国民医療サービス(NHS)の改善は、スターマー政権の重要な公約の一つです。現在、764万人が医療サービスを待機しており、そのうち314万人が18週間以上待たされている状況です。
そのため、テムズウォーターの問題についても、明確な支援策は打ち出していません。
国有化後の課題と行き詰まり
仮に国有化されたとしても、状況が改善する保証はありません。そもそも、民営化されるまで国営だった水道事業が、インフラ投資不足などの問題で機能しなくなったために民営化された経緯があります。国有化しても、資金が十分に供給されなければ、状況は振り出しに戻るだけです。
現在の英国の財政状況では、水道インフラへの大規模な投資を行うのは難しく、ロンドンの水道事情が劇的に改善する可能性は低いと言えるでしょう。
構造的問題
水道というのは人々の生活に直結するインフラであるため、料金の値上げには強い社会的反発が伴います。水道会社が設備投資をしても、その費用を回収しにくいという特性があります。加えて、債務の増加やインフラの老朽化といった問題も抱えており、経営環境は極めて厳しい。世論の批判や風評リスクもあり、現状では新たに投資しようとする企業は現れにくい構造となっています。
私の考え
私も、最終的には国有化されるしかないだろうと考えています。ただし、国も財政的に余裕がないため、国有化された後も状況が好転するとは限らず、老朽化した水道インフラとの付き合いは今後も続いていくでしょう。
ご参考
スターマー政権は今後5年間で150万戸の住宅を建設する計画を掲げています。しかし、これはなかなか進んでいないのが実情です。いきなり大量の住宅を建設すると言っても、それを担う労働者が足りていないからです。
サイトマップ(目的別)はこちら
いいなと思ったら応援しよう!
この記事は noteマネー にピックアップされました

