二番【自由への対価】
少女は、一呼吸おいて本を開いた。
物語は終わるが、別の物語は続いていく。
旅人の、自由な生き方が綴られている物語へと。
暗い森だった。
鬱蒼とした木々が、無秩序なようでどこか規則的に並び、陽も出ているはずなのに奥は見えない。
ある一人の旅人がいた。
目の前に焚火の跡が残されている。
まだそれほど日が経っていないであろう、最近のもの。それは、その旅人の知らない痕跡。
旅人はふと、木の方に目をやる。
その奥、木の裏でウサギが駆け抜けていった。
そこに、死体があった。旅人か遭難者か。
それを知る術は残されていないが、ウサギに食い破られ、眼窩には虫達が蠢いていた。
この人間は、生きる希望を失ってはいなかっただろう。
神にすら祈りを捧げたであろう。
だが、果てた。祈りなど届くわけもなく、現実をまざまざと見せつけられた。
──だがどうだろう。
彼はここで朽ち果てたが、森に存在する数多の命を救ったのだろう。
己の運命は救えなかったが、それを糧にして、生き延びる命が宿ったのだと。
旅人は、焚火の燃えカスに目を移す。
小さな骨が燃え残り、カサカサと音を立てるように震えていた。
「あぁ、これはウサギだ。
だが、その人間の肉によって、新たなウサギが生き延びた。」
森の静寂を打ち消すように、男の笑い声が木霊する。
「つないだんだ。
ウサギが人間に。人間が先ほどのウサギに。
──そう、命ってそういうことかもしれないな」
旅人も自由に歩くんだ。
ウサギだって自由に生きてる。
だからこそ、自分の身を守れない者は、命という対価を払うんだろう。
見ると、先ほどのウサギなのか、こちらを赤いまなこで見つめていた。
その目は何を見つめている?
旅人はホルスターから音もなく銃を抜き出すと、
パーン。乾いた音ともに鳥が飛び立ち、ウサギが倒れた。
赤いまなこは、虚空を覗いていた。
「自由への対価だ」
対価を払ったウサギへ向けたその旅人の言葉は、
自分へ向いているようにも聞こえた。まるで呪文のように。
男は、そのウサギを丁寧に捌く。
焚火を起こし、慣れた手つきでウサギの肉を焼いて、そして食べた。
骨までしゃぶりつくし、火に放り投げる。
「ウサギ達の命は俺に渡される。はははっ。エゴだな。これは俺のエゴだ」
つぶやくと男は焚火に砂をかけ、丁寧に火が消えたことを確認すると森の奥へと消えていった。
少女は、そこまで読み終えると、感情的に本を閉じた。
なんだ、先ほどと同じ本なのかと思うほど乱暴で、作者に私は切り捨てられた。
だが、この感情は何?
裏切られたことへの怒り?
切り捨てられたことへの絶望?
──ううん。こみ上げる熱はあるけど、酷く冷静。
これは、残酷なまでの「願い」──。
救いたいと言う、悲しくも慈悲もない私のエゴへの。
それとも、ある種の情熱。なのかもしれない。
「なるほど。祈りなんてないし、希望なんて存在しない。
あるのは現実と、皮肉だけ。か」
少女は、いつの間にか流れていた冷や汗を気にもしていない。
「この旅人も、死すら背負わず自由に生きてる。
確かにエゴだ。誰かを助けたい、救いたい。なんて言葉──それも私のエゴなんだ」
なら簡単なことだ。進もう。
私のエゴだ。救いたいから行動する。救えなくたっていいじゃないか。
だってその思いは、私のエゴなんだから。
涙も出なかった。ただ、心のどこかが軋んだ。
少女はこの数時間で、自分の中で何かが変わっていくのを感じた。
ギラギラとした目つきで表紙を見つめる。
もはや旅人でもウサギでも、ましてや遭難者でもない。
「私は、そんな枠に収まらない。
もっと自由に、“自分らしさ”で走り抜いてみたい」
そして、少女は自分の現実と、小さな祈りを胸に──
本の世界へと、まなこを。そして意識を、放り投げた。
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