パンダと畏れ――「可愛い」とは何か
昨年は、長年日本で親しまれてきたパンダたちが中国へ返還され、日本からその姿を消した年でもあった。
その余韻が残る中、テレビや映画ではパンダを題材にしたドキュメンタリー作品が相次いで放送・公開された。
以下は、NHKドキュメンタリーを鑑賞した直後に書き留めた感想である。
昨晩、飼育されているパンダの生態ドキュメントを見た。
転げ回り、竹をかじる姿は本当に可愛い。
淡々とパンダの所作だけを映しているのに、どのカットにも愛らしさが滲んでいて、思わず見入ってしまった。
だが、パンダも「熊」だ。
その可愛さを眺めながら、同時に、人を襲う時の凶暴性を想像していた。
中国では、飼育員の腕や指が噛みちぎられる事故も起きている。
パンダの噛む力はライオン並みとも言われる。
この愛らしい外見のすぐ下に、獣としての本性が潜んでいる。
人間が動物を「可愛い」と感じるようになったのは、いつ頃なのだろう。
調べると、3万〜5万年前のネアンデルタール人が、熊の頭骨を丁重に埋葬していた痕跡があるという。
ふと、愛らしさと怖さが交錯するところから、祈りや敬いの感覚が生まれたのかもしれないと思った。
「可愛い」という原初の感覚が、野生への共感覚を呼び覚まし、
やがてオオカミの幼獣を保護する行為につながり、そこから犬が誕生し、家畜化と牧畜を可能にし、農業革命へと連なっていったのかもしれない。
文明を押し進めたのは、暴力だけではなく、この「可愛い」という心のはたらきだったのではないか。
しかし現代の「可愛い」は、リアルな恐れの感覚から切り離されているようにも思う。
太古の人類にとって、
「愛らしい」のすぐ隣には「畏れ」があり、その曖昧な境界こそが、祈りや敬いを生んでいたのではないか。
可愛さと畏れが切り離された現代が失ったのは、祈りと敬いの感覚だったのかもしれない。
それは果たして、豊かな世界と言えるのだろうか。
【2025年11月15日の制作日記より】
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