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「熊問題」は本当に熊の問題なのか――単純思考から複雑思考へ

本日、北海道更別村で熊駆除に当たっていたハンターがヒグマに襲われ、重傷を負ったとのニュースが飛び込んできた。

襲われたハンターは40代であるという。顔面に酷い損傷を受けているのでは、との情報もある。

熊による農作物被害。人身被害。そして、駆除に向かったハンターまでもが襲われる。
現象だけを見れば、これらは熊が引き起こしている「熊問題」である。

しかし、本当にそうなのだろうか。
熊問題を構造的に見ていくと、その背後には人間社会が長い時間をかけて生み出してきた、さまざまな問題が横たわっているように思う。

過疎化。少子高齢化。耕作放棄地の増加。里山の衰退。農林業従事者の減少。狩猟者の高齢化とハンター不足。それに伴う猟犬の減少。人間が山に入らなくなったことによる、人の気配の希薄化。
かつて人間と熊の間に存在していた境界線が、少しずつ消えている。

1960年代以降に進められたスギやヒノキの拡大造林による森林環境の変化。温暖化による気候変動が植生や木の実の実りなど、熊を取り巻く生態系に及ぼす影響。鹿や猪をはじめとする野生動物の個体数増加。耕作放棄地や藪の拡大によって、熊が身を隠しながら人里近くまで移動できる環境も生まれた。

その一方で、人里には柿や栗などの放任果樹、生ゴミ、家畜飼料といった、熊を引き寄せるものが存在する。さらには、熊を捕獲するために餌で誘引する箱罠さえも、人里の近くに設置されている。

熊を人里から遠ざけようとしながら、その熊を捕らえるために、人間が餌を置いて熊を引き寄せる。
ここにもまた、熊問題が抱える一つの矛盾があるように思う。

そしてもう一つ、大きな変化がある。
熊に「人里は恐ろしい場所だ」と学習させる機会と方法が失われつつあることだ。

人間が山に入り、猟師や猟犬が存在し、人里と奥山の間に一定の緊張関係が保たれていた時代から、人間社会そのものが大きく変わった。

だとすれば、熊問題とは本当に「熊の問題」なのだろうか。
農作物を荒らすのは熊である。 人を襲うのも熊である。
しかし、その熊を人里まで歩かせてきたものは何なのか。

熊問題とは、現象的には熊が引き起こしている問題でありながら、構造的には人間社会そのものが生み出している問題とも言えるのではないだろうか。

だからこれは、熊を駆除すれば終わる問題ではない。
箱罠を増やせば終わる問題でもない。
やれ自衛隊に任せればいい、警察に任せればいい――それで解決できるような単純な問題でもないのである。

日本は先進国の中でも珍しく、大型哺乳類(ヒグマ、ツキノワグマ、鹿、イノシシなど)の個体数が増えている国の一つだ。熊問題は、少子高齢化や地方の衰退・消滅の進行を映し出す鏡そのものなのである。

僕たちが向き合わなければならないのは、目の前に現れた一頭の熊だけではない。
その熊を、そこまで歩かせてきた社会そのものなのだ。

いま問われているのは、目の前で起きている現象にどう対処するかだけではない。なぜその現象が起きているのか、その背後にある複雑な構造までを見つめ、考えることではないだろうか。

熊が出たから、熊を駆除する。 ハンターが足りないから、自衛隊や警察を投入する。
そうした単純な原因と結果だけで問題を捉えるのではなく、複雑に絡み合ったさまざまな要因の連鎖として捉え直す。

単純思考から、複雑思考へ。

熊問題とは、熊と人間の問題であると同時に、僕たち人間の思考のあり方そのものを問う問題でもあるのだ。

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「虚空門GATE」監督 小路谷秀樹 Hideki Koujitani 『ヒグマカルマ』は現在も北海道・東北で取材と撮影を続けています。 もし活動を応援していただける方がいましたら、サポートいただけると制作継続の力になります。 いただいた支援は、移動費・撮影費として大切に使わせていただきます。